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そもそも「傅子」とは?
正史「三国志」の「注」に引用された「傅子」とは何なのでしょうか?それは西晋の時代に「傅玄」という人物によって書かれたものです。
郭嘉に見られるような人物評や、詩歌なども収録された全120巻にも及ぶ大作でしたが、現在は残っておらず、三国志の「注」で記述がみられる程度です。作者の「傅玄」は「司馬昭」の側近だった人物であり、司馬氏に反抗した人物に対しては厳しい評価を記述しています。
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「傅子」の作者「傅玄」とは?
「傅玄」は魏に仕えた人物で文才や音楽にも通じていてとても博学でした。「魏書」の編纂にも携わり、司馬昭の側近として官職を歴任しています。他人の過失にとても厳しく、宮廷の綱紀粛正に力を奮っています。司馬炎が西晋を建国してからも引き続き仕え、多くの著述も残しています。
傅玄は作詞家としても有名で、国威発揚の曲や司馬氏を称える作詞もしており、「宗書」にその一部が収録されています。
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三国志ライターみうらの独り言
三国志の「注」には正史には無い記述が多数あり、特に郭嘉の記述は彼の有能さを際立てるものが多いですね。もし、郭嘉が長生きしていたら、曹操は天下統一していたのか?
そんなことを考えるのも面白いかも知れません。
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