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曹操の理解者と言える存在、郭嘉が曹操に愛された理由とは?

2021年11月3日


 

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魏王に就任する曹操

 

乱世の勧誘……じゃない、奸雄とも称された曹操(そうそう)

 

曹操が手元に置いておきたかった韓浩

 

彼の元には数多くの名将たちが揃い、魏という大国を作り上げました。しかしその過程でもまた、数多くの名将たちが散っていきました。

 

郭嘉

 

今回はその中でも特別とも言える人物、郭嘉(かくか)と曹操の関係について考えてみましょう。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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曹操との出会い

郭嘉を曹操に推薦する荀彧

 

さて郭嘉と曹操の出会いまではちょっと色々ありました。元々は戯志才(ぎしさい)という賢人が荀彧(じゅんいくによって曹操に紹介され、曹操は彼を気に入って厚遇するものの、早世します。これを嘆いた曹操は荀彧に

 

郭嘉を推薦する荀彧

 

「策略を十分に相談できる人物がいなくなった。彼のような人物は誰かいないか」と相談して、荀彧が次に推薦したのが郭嘉です。なおこの戯志才、実在しないだの何だの色々言われていますが、それはまた別のお話。

 

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荀彧特集

 

 

 

空箱フラグ(※そんなことはなかった)

郭嘉と曹操は意気投合

 

曹操と面会した郭嘉、二人は語り合い、意気投合します。郭嘉をとても気に入った曹操は喜び「わが大業を成就させるのはこの男である」とまで郭嘉を評価しました。

 

曹操と荀彧

 

因みに荀彧が曹操の元に来た時は「わが子房(張良(ちょうりょう))である」と喜んだのがまだ記憶に新しい頃ですね!

 

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楚漢戦争

 

 

郭嘉の貢献

郭嘉

 

事実、郭嘉は曹操のために良く働きました。曹操の前半生である波乱万丈な日々を乗り越えたのも、ひとえに郭嘉の貢献あってのことでしょう。

 

郭嘉

 

袁紹(えんしょう)呂布(りょふ)との戦いでも郭嘉は多くの進言を曹操に行い、時に未来予知では?というような言葉さえ残しています。しかしそんな郭嘉の偉業は、烏丸討伐で終了しました。

 

曹操と郭嘉

 

郭嘉は帰還した時に病に倒れ、そのまま亡くなりました。38歳という若さで亡くなった郭嘉を、曹操は激しく痛み、惜しんだと言います。

 

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英雄の死因

 

 

曹操と郭嘉の関係

郭嘉が亡くなり悲しむ曹操

 

さて曹操はどうしてここまで郭嘉を寵愛したかと言うと、まずはその出会いにあると思います。

 

郭嘉

 

曹操は荀彧に零したように、自分と十分に語り合える相手が欲しかった。そしてその唯一とも言える存在が、郭嘉だったのでしょう。事実、郭嘉も曹操も機知に富んだ人物であり、才能を秘めた人物であるものの、素行は宜しくないという評価をされているように、才覚だけでなく、その性根の部分までどこか同じ人物であったのかもしれません。

 

郭嘉が亡くなり悲しむ曹操

 

そこまで通じ合った人物と出会えたからこそ、曹操は郭嘉を大事に思っていたのではないかと思います。

 

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郭嘉特集

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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