ナポレオンといえば、本人が天才的な英雄であるだけでなく、周囲に優秀な人材を採用して使っていた、という点でも有名な人物です。そんなナポレオンが特に信頼を寄せていた側近が、外務大臣の役割を担っていた、タレーラン。
日本でも、フランス革命やナポレオンを扱った漫画や小説に名作が多いおかげで、タレーランの名前くらいは、だいぶ知られてきているようです。でも、いったいどんな人物で、何をやった人なのかについては、「詳しくは知らない」という人が多いのではないでしょうか。
そこで今回は、フランス革命~ナポレオン時代の「濃いキャラのひとびと」が大好きな私が、その中でも特に愛すべき(?)濃厚キャラ、タレーランの評価と功績について、できるだけわかりやすくまとめてみたいと思います!
この記事の目次
タレーランはどんな時代を生きた人物なの?
ざっくりと書くと、
・激動のフランス革命の中で議員として政治家デビュー
・ナポレオンの側近として活躍
・ブルボン復古王政でも外務大臣を務め、ナポレオン戦争後のフランスを立て直す
となるのですが、これって、既に、途轍もない経歴です!
というのも、フランス革命から王政復古までの時代は、クーデター、粛清、裏切り、陰謀、戦争が吹き荒れた時代。この時代を完璧に生き延び、かつ、要職につき続けているというのは異常なことです。
あえて日本史でたとえるなら、寿命としてはあり得ない長い年月にはなりますが、江戸幕府の要職についていた人が、明治政府でも要職につき、昭和前期の軍部台頭の時代にも要職につき、太平洋戦争後のマッカーサー占領下でも要職を任されていた、というようなものです。
あまりに見事な転身ぶり!
なぜこんなことができたのでしょうか?
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日本の松永久秀も三国志の呂布もマッサオな「寝返り達人」!
その秘密は、ハイ、まぁ、簡単に言うと、「寝返り名人」だから、ということになります。タレーランという名前をネットで調べると、「悪人だった」とか「冷血漢だった」とかいった評価に出くわすのは、こういうところにあります。
日本史では、松永久秀、三国志では、呂布奉先という、「何度も主君を変えていく寝返りキャラ」として有名な人物がおりますが、経歴だけを見ると、タレーランも似ています。
ですが、松永久秀も呂布も末路は悲惨だったのに、タレーランは、寝返りをするたびに着実に出世もして、一国の外務大臣にまで昇りつめて、天寿を全うした人です。
「寝返り」の巧みさでは松永久秀や呂布などより、はるかに「名人」レベル。松永久秀や呂布のことをタレーランに話しても、「ふん。そんな裏切り方じゃ、ワキが甘いからすぐ没落するね」と冷笑されてしまうでしょう。
どうしてそんなに「寝返り」ばかりしていても出世できたの?
なぜタレーランにそれが可能であったかと言うと、端的に、彼があまりにも優秀すぎたからです。かのナポレオン自身、何度も、「タレーランはウラが多すぎて信用できない!殺してやる!」と言っていながら、けっきょく側近として使い続けていました。
それどころか、後年、島流しにあった後のナポレオンは、「こんなことになるなら、タレーランの言うことをもっと採用していればよかった!」などという後悔までしています。
その能力は、おそろしいほど国際政治の展開を見抜ける頭脳にあり!
どれだけ優秀だったかと言うと、何をおいても、タレーランの「予想」は異常なほど当たる。
たとえば、「いまロシア皇帝にこういう手紙を書けば、きっと同盟してくれますよ」とか、「いまイギリスは我々との戦いに疲れているはずだから、これくらいの条件を出せば休戦するでしょう」とか、そういう「国際情勢の先読み」がめちゃくちゃ巧い。予想が次々に当たる。
かのナポレオンが後悔したのも、タレーランが賛成した戦争は成功したのに、タレーランが反対した戦争(ロシア遠征など)はことごとく失敗したからでした。「やはりタレーランの読みが正しかった。あいつのいうことをもっときいておけばよかった」と、ナポレオンを後悔させるほどの頭脳!
外務大臣になるために生まれてきたような才能であり、どんな権力者も側近に欲しくなるわけです。
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まとめ:実は19世紀以降の世界地図はタレーランが作った?
そのタレーラン、実は現代の世界にも深く関わっています。彼の人生で最大の功績は、ナポレオンが失脚した後、フランスの外務大臣としてヨーロッパ諸国の首脳陣と交渉し、敗戦国のはずのフランスを再び大国に導いたことなのです。つまり、イギリスと友好関係を作り、ロシアやプロシアを牽制することで、フランスの安全保障を確固たるものに仕上げたのです。
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世界史ライターYASHIROの独り言
19世紀以降の世界史を見ると、フランスといえば「いつもアメリカやイギリスの仲間」と思っている人も多いでしょう。ですがナポレオン時代までは、フランスとイギリスといえば積年の天敵どうしだったのです。その天敵に敗戦したのだから、土地を割譲されたり、占領されたりしてもいいはずなのに、なぜか「戦勝国側の同盟に仲間の顔をして加わる」という奇跡の外交!
これは、たとえていうなら、第二次世界大戦でアメリカに日本が負けた時、アメリカに占領されるのではなく、敗戦国の日本のほうから「これからは友好国になりましょう」とアメリカに働きかけて、対等な同盟を結んでしまったような、離れワザです。
ですが、タレーランの、「これからのフランスはイギリスと友好国になるのがオトク!」という大胆なアイデアが、19世紀以降、二つの世界大戦にも引き継がれ、NATOにまで影響しているのですから。実はタレーランのアイデアこそが、19世紀の西洋列強の力関係を決定し、現代につながる世界の勢力地図にまで影響しているともいえるのです。戦争に敗けたのに、天敵の陣営にちゃっかり乗り換える!?
うがった見方をすれば、これはまさに「寝返り名人」のタレーランだからこそ可能だった離れワザだったのかもしれず、フランスにとって、「やはりタレーランは生かしておいてよかった人だった」というところでしょうか。
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