ルネサンスについて圧倒的に分かりやすく解説するよ!【大人の学び直し】




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君主論18 kawausoさん

 

人間、分かっているようで分からない事って多いですよね?

 

 

例えば、世界史で習うルネサンスなんか、ミケランジェロ、ダビンチ、ラファエロなどルネサンス絵画や彫刻の巨匠をすぐイメージできますが言葉で説明しようとすると、どう説明したらいいのか戸惑うと思います。

 

タレーラン

 

そこで今回は大人の学び直しとしてルネサンスを具体的に解説しましょう。

 




ルネサンスとはフランス語

フランス革命

 

そもそもルネサンスとはどういう意味なのでしょうか?

 

雰囲気的にイタリアっぽい響きのルネサンスですが、実はフランス語で「再生」を意味します。歴史用語としてルネサンスが用いられたのは新しく19世紀中頃のフランスの歴史家、ジュール=ミシュレが言い出したのが最初だそうです。

 

つまり「ルネッサーンス!」ど真ん中の人々は自分達の生きている時代をルネサンスと名付けたわけじゃないんですね。また、ルネサンスは元々、ギリシャ語でパランジェネシーと呼ばれ、これは死者の再生という意味でした。

 

近代フランスではパランジェネシーを「新しいものとして生まれ変わる」という意味で使っていましたが、これを歴史的意味に定義したのがミシュレで、そのためルネサンスは日本語では長く「文芸復興」と訳され、最近では再生と訳される事が多いです。

 

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ルネサンスは何を「再生」させたのか?

kawausoと曹操

 

では、ルネサンスは何を再生させたのでしょうか?

 

これは、キリスト教支配により失われた古代ギリシャの人間中心主義でした。元々、欧州には古代ギリシャ、そしてギリシャ文明を引き継いだローマ帝国が栄えていました。

 

4世紀頃までのローマは多神教であり、キリスト教のような絶対神による一神教の支配がなく多様性が維持されており帝国の領土もアジアから黒海、北アフリカに跨っていたので、民族と人種も多様で整備されたインフラのお陰で庶民の生活も豊かでした。

 

給料である塩が貰えずに困っているローマ兵

 

ところがローマ帝国は度重なる疫病や戦争による領土拡大で軍隊を支えていた自作農が経済的に没落し、異民族の傭兵に戦力を頼るようになります。ここから内紛が続くようになり、西暦476年には東西に分裂していたローマの中で、西ローマ帝国が東方から侵入してきたゲルマン人によって滅亡に追い込まれました。

 

これにより、広大な領土は大きく縮小し、西ヨーロッパは各地に小豪族が割拠する封建制に移行。経済の規模は大きく縮小して文化も停滞し、庶民はキリスト教の原罪に縛られ禁欲的で抑圧的な「暗黒時代」が続きます。

 

テンプル騎士団

 

しかし、14世紀、十字軍運動の影響として始まった東方貿易の拠点として北イタリアにヴェネチア、ジェノバのような都市共和国の繁栄が出現し、さらに内陸のフィレンツェでも毛織物と商業により都市が繁栄し都市の市民文化が発展。

 

一方で人々を原罪で縛っていたキリスト教会では教会の分裂や教皇がフランス国王に囚われるなどの失態が続いて権力が弱まり、オスマン帝国により東ローマ帝国の首都、コンスタンティノポリスが陥落した事で東ローマ帝国領内のギリシャ人学者が大挙してフィレンツェに移り住み古代ギリシャの人間中心主義の考え方を西ヨーロッパにもたらします。

 

 

こうして欧州において人間中心主義が再生したのがルネサンスで、要するに神を恐れ地獄に落ちる事を心配するよりも、もっと自由に人間らしく楽しく生きようという意識改革運動でした。

 

人間中心主義の影響は絵画において顕著で、ルネサンス以前の絵画にある平面的で厚く粗末な衣服に覆われた表情に乏しい人物画から立体的な表現で人間らしく表情に溢れ、時には裸に近い姿で人物が描かれるようになっていきます。

これらは聖人や神を人間に似せて描くという斬新な試みでした。

 

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ルネサンスと黒死病

 

再生を意味するルネサンスと大勢の人間を殺した黒死病(こくしびょう)は真逆のようですが、実は大きな関係があります。黒死病が流行する前の西ヨーロッパでは、多くの人々は農奴(のうど)として領主が経営する荘園(しょうえん)で労働力を提供して日々の暮らしの糧を得ていました。

 

しかし、10~11世紀にかけて三圃制(さんぽせい)という農業技術の改革や鉄製農具の普及で農業生産力が大きく向上していきます。

 

ところが、収穫量が増大したのと同時に人口も増大し、西ヨーロッパの土地は手狭になり、イベリア半島や東ヨーロッパへと人口が移動していきました。この人口移動に連動して聖地エルサレムの奪還を目指した十字軍運動も発生。多くの西ヨーロッパの人々が土地と富を求めて地中海を渡っていきます。

 

十字軍が地中海世界で見たのは、アジア貿易で富を得るヴェネチアやジェノバ商人の繁栄ぶりと貨幣を媒介にした交易ネットワークの存在でした。

 

同時に2世紀にわたりイギリス、オーストリア、ドイツ、イタリア、フランスから十字軍の大軍がひっきりなしに往来した事で内陸の道路は整備され、中継地点では大規模な交易も始まり貨幣経済が浸透。商人階級が富を貯えて商業都市を建設し自衛を開始します。

 

商業に従事する事で富が得られる事を知った農奴は、荘園から離脱して都市住人となり、地代を貨幣で払うようになり経済的自由を獲得していきました。農奴の自由を奪い使役する事で富を得ていた荘園領主は貨幣経済に対応できずに没落していきます。

 

この時に大流行したのが黒死病で、人々は神に救いを求めますが願いも空しくペストは富める者も貧しい者も等しく命を奪い、聖職者も疫病を逃れられずに死んでいきました。

 

これにより、絶対だったカトリック教会に対する信頼が大きく揺らぎます。同時に労働力の激減で田畑を耕す農奴が減少した領主は農奴を強権的に押し付け土地に囲い込もうとします。これを封建反動と呼びます。

 

ところが希少価値を持つ農奴が領主の束縛に従うわけはなく、農奴同士で団結して一揆を起こして領主に抵抗。黒死病で労働力が貴重になっている領主に勝ち目はなく、農奴は解放されて自作農になったり、小作人になったりして領主の支配から離脱しました。

 

そして全体的に人不足の社会では積極的な人材登用が起きて社会の流動化が進み、新しい価値観が生まれる土壌が誕生します。このように黒死病は、ルネッサーンス!に繋がっていくのです。

 

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ルネサンスはいつ終わった?

 

では、ルネサンスはいつ頃終わったのでしょうか?

 

イタリアに限定するなら、それは16世紀前半ですが、ヴェネチアからアルプス以北のフランス、オランダ、ドイツ、イギリスに広がって行く事を考えると16世紀一杯、その残照が続いたと言えるかも知れません。

 

それでは、何をもってルネサンスが終わったと定義できるのでしょうか?

 

元々、ルネサンスは十字軍運動の経済拠点となったヴェネチアやジェノバのような共和政都市国家から貿易で富を貯えた富裕な市民が出てきてカトリックの影響から抜け出した文化や芸術を産み出した所から始まっています。

 

しかし、イタリア全土を戦乱に巻き込んだフランスとハプスブルグ家の戦争により、北イタリアは荒廃し、1527年にはローマがスペインのカール5世の軍勢により徹底的な劫略を受けて没落します。また、ルネサンスの中心地となった共和政都市国家フィレンツェも1530年にはメディチ家の世襲(せしゅう)によるトスカーナ公国が誕生し共和制が終わりました。

 

同時にルネサンス建築の象徴であるサン=ピエトロ大聖堂の建築費用調達のためにローマ教皇がドイツで発行した免罪符に端を発するルターの宗教改革は、欧州各地で長期の戦争を引き起こし、欧州は都市国家が連携する連合政体から国王に権力を集める主権国家へと移行していきます。

 

こうして17世紀に入ると、欧州はカトリックとプロテスタント陣営に分かれて主権国家同士が激突する17世紀の危機と呼ばれる時代に入り、都市国家と人間中心主義の時代だったルネサンスは終わりを告げ、絶対王政を確立した貴族や王達が誇張した派手な宮殿や音楽、豪華な衣装で権威を誇示するバロック美術の時代へ移行していきました。

 

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世界史ライターkawausoの独り言

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

かつてはヨーロッパの近代に繋がるものと歴史的に位置づけされていたルネサンスですが、現在ではその限界性も指摘されており、ルネサンスの人間中心主義が直ちに18世紀の啓蒙主義には繋がらないという考え方が一般的です。

 

しかし、封建社会とローマ教皇の支配による神中心の世界観から人間性の自由と解放を求め、個人を尊重するという概念を産み出した点は、その後にやってくる近代社会の土台になる考えを産み出したとは言えると思います。

 

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