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この記事の目次
曹操という存在
袁紹にとって強大な敵として、曹操が立ち塞がりました。どうにか取り除いておきたい、息子のたちの代では難しかろう。しかし官渡では曹操を討ち果たせなかった。よりにもよってこの敗戦で小さな内乱が起き始める。
袁紹は内乱を急ぎ鎮圧し、曹操との決戦に準備に準備を重ねていました。そしていざ出撃という瞬間、袁紹は血を吐き、倒れました。そうして河北の雄は、三国志の舞台から途中退場を余儀なくされるのです。
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曹操との決戦『官渡の戦い』
事実、曹操は官渡の戦い後、袁紹が生きている間は戦うことはありませんでした。曹操もまた、袁紹を強大な敵だと理解していたからこそ。
そして袁紹も曹操を取り除くべき敵、自分が討ち果たしておかなければならない相手だと理解していたからこそ、無理をして倒れてしまったのではないでしょうか。
袁紹が後継者を任命していなかったのは、任命してしまうとただでさえ仲の悪い部下たちが余計争い始めるから、だからこそ曹操を取り除いてから全てを決めたかった……と妄想してしまいましたが、どうですかね?
もちろん後継者は自分の手元に置いておいた袁尚で、袁家の両家を自分の血で支配する、という話を想像しました。実は名族コンプレックスが強い袁紹、野心溢れる袁紹。たまにはこういうのもいかがでしょうか。
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三国志ライター センのひとりごと
筆者は割と袁紹が好きですね。それも個人的に、名家である誇りを持ちながら、それにコンプレックスがある袁紹に浪漫を感じてしまうようです。こういう二面性が好きなのかもしれませんね。
しかし袁紹が最期に血を吐いて死んだ、というのは三国志演義の憤死を思い起こさせます。だから何となく、袁紹も周囲からストレスかけられていたのかなーなんて。妄想した次第でした。
どぼぼぼーん。
参考文献:魏書袁紹伝 後漢書袁紹伝
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