ツンデレ?
「憎たらしい女め!普段はまともに話もしないくせに、こんな時だけ訪ねてきて!」
自分は若い女に入れ込んで、病気と聞いて見舞いに訪れたらこの態度。これは現代ならブチ切れ不回避、もちろん張春華もブチ切れ。息子二人を巻き込んで、断食して自殺しようとしたのです。
それを聞いた司馬懿は慌てて妻に謝罪しましたが、帰り際に「お前が心配だったんじゃなくて、息子二人が心配だったんだからね!」と捨て台詞を残したと言います。
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とあるご夫婦「郭淮編」
ここでとあるご夫婦、郭淮夫妻のご紹介を。郭淮はある時、妻が兄のクーデターに無関係にも関わらず、三族皆殺しに連座させられることになります。
郭淮の配下や民からの強烈な反発がありましたが、郭淮は国の決定に反意を起こしてはならないとこれを黙認。しかし息子たちが頭を床に叩きつけ、血を流して「自分たちも母に殉じさせてくれ」と言われて、郭淮は妻を取り戻し、後に司馬懿に許されました。
郭淮はこの時、「母を失えば子供たちは死ぬと言います。子供が死ぬと言うなら私もいないも同然です。許されないのであれば私も罪に殉じます」と述べています。
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郭淮の夫婦関係
さて郭淮もまた、子供が関わってから妻を取り戻すことを決意しました。この点、ある意味では司馬懿と似ています。家が代々続いていくことを考えると、先祖のためにも子供だけは失ってはならないという考えなのでしょう。
でも何だかんだ、司馬懿も郭淮も行動の理由は同じなんですよね。ちょっとここ比較して見ると面白いんじゃない?とご紹介させて頂きました。
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三国志ライター センのひとりごと
一点だけ言わせてもらうと、司馬懿も郭淮も子供が関わって動いたというのに、不思議なことに後世では司馬懿は恐妻家と言われ不仲と言われ、郭淮は場所によっては愛妻家扱いされているのは面白いなーと思った次第です。
この辺りは晋書の書き方というか、そういう違いでしょうかね?
ともあれ、仲良しな司馬夫妻ももっとみたいな、そんなことを思った筆者でした。
どぼーん!
参考文献:魏書郭淮伝 晋書宣穆張皇后伝
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