夫である孟獲が五回目に捕らわれたときに登場した女武将・祝融。赤兎馬に乗り、ナイフや薙刀で応戦したと言われます。
伝説の火の神の末裔とされる祝融とは、どんな武将だったのでしょうか。
赤兎馬は関羽からもらったのか?
最初に董卓が持っていた赤兎馬は呂布に渡ります。その後、曹操の手に渡り、曹操は関羽に対するお礼として赤兎馬を贈ります。
関羽は他の贈り物は断りますが、赤兎馬があればすぐに兄者のもとに駆け付けられると譲り受けるのです。
その後、関羽を打ち取った呉の「馬忠」が赤兎馬の持ち主となります。名馬は転々と持ち主を変え、最後は祝融の手に渡ったという説も残っています。
一日に千里を走ると言われる名馬は乗りこなすのに相当の腕が必要です。歴代の持ち主を見ても名だたる武将が赤兎馬を愛用しています。この事実を照らし合わせても祝融はかなりの手練れだったことが推測できます。
中国で名馬を乗りこなすことは一流の腕前を持つとされ、三国志以外の小説でもたびたび名馬が登場します。往々にして名馬は性格が荒く、乗りこなすことができる人物は勇者を意味します。つまり、「赤兎馬の所有者 = 勇者」という図式が常に成り立っているのです。
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一騎打ちで蜀の武将二人を捕虜にする祝融
夫の孟獲を救うため攻撃に出た祝融。馬忠と張嶷の二人の武将と対峙します。火の神の末裔とも言われる祝融の怒りは凄まじく武将は捕らわれの身に……。
しかし、祝融は敵の首を落としません。理由は夫の孟獲が何度も諸葛亮の手に落ちながら、解放されてきた経緯があるからです。
馬忠といえば、あの関羽を倒した呉の武将とは別人です。蜀の馬忠とは別人ですが、馬忠は寛大な人物と言われています。彼だけでなく、張嶷も同時に捕らえた祝融。
どんな手を使ったのか気になるところです。
そのえう、追撃してきた趙雲や魏延をも撃退。投げナイフで追い払ったそうです。投げナイフは暗器と呼ばれ、通常は毒をぬっておきます。皮膚に少し傷をつけただけでも毒が傷口から体内に回り、体を弱らせます。
武器だけでなく、暗殺でも毒が登場するのが中国小説の特徴。なかなか狡猾な祝融です。
なぜ諸葛亮はダチョウ夫人とののしったのか?
その後、諸葛亮は祝融を罠にはめようと「ダチョウ夫人、ダチョウ夫人」と罵詈雑言を浴びせます。日本人の感覚からするとそれほど嫌味な言葉に思えません。
しかし、ダチョウは羽があるのに筋肉が退化して飛べなくなっただけでなく、大型化することで生き残った走鳥類です。体重は100キログラムを越え、見た目はブサイクです。さらに知能が低いことでも知られ、脳みその重さはダチョウの目玉一つ分よりも軽いと噂されています。
知能が低く、ぼてっとした体形。女性が言われて喜ぶはずがありません。ゲーム『三国無双』ではグラマラスな体形で描かれる祝融、実際にもぽっちゃり系の女武将だったのかもしれません。
そして、まんまと罠にかかった祝融。怒って魏延を追いかけます。すでに夫は戻ってきているので、深追いする必要はないのですが、”ダチョウ夫人、ダチョウ夫人”とののしられ、正常な判断力を失っています。敵陣へ猪突猛進し、待ち構えていた趙雲と魏延らにあっさりと捕まってしまうのでした。
捕虜交換のレートが尋常ではない
スパイ映画などで敵のスパイと味方の人質を交換することがあります。その場合、一人のスパイに対して、一人の人質が通常の交換レートです。
しかし、祝融を取り戻すのに夫の孟獲が差し出した捕虜は馬忠と張嶷の二人。
諸葛亮の策かもしれませんが、祝融は有力な武将二人分の価値があると踏んだのでしょう。馬忠は、かなりの格下げです。正当な交換レートと思ったのか、妻が怖かったのかは分かりませんが、孟獲は馬忠と張嶷を蜀陣営に差し出します。こうして短気が故に罠にはまった祝融はトボトボと孟獲の元へと帰っていくのです。
三国志ライター上海くじらの独り言
祝融は登場数も少なく、架空の人物のため知っている三国志ファンも多くはありません。しかし、数少ない女武将の一人で実に魅力的なキャラクターです。ケタ外れの強さも意外に感じるかもしれませんが、中国では腕っぷしの強い女武将がよく登場します。
その影響か現在の中国でもバスの運転手や社長には、女性がたくさんいます。運転は技術であって腕力はいりません。また、社長は頭脳で勝負します。実に合理的な考え方と言えるでしょう。
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