さて今回は三国志演義では小覇王と呼ばれた、孫策の死因について触れていきます。
孫策と言えば若くして父の孫堅を亡くし、苦労するも、そこから躍進に次ぐ躍進、かと思えば退場していく……正しく、歴史を吹き抜けていった嵐のような快男児、といった武将でしょうか。その死因とは……三国志演義では「呪い」とされていますが、実際に呪いであったのか?
「正史における孫策の死因は暗殺」ですが、今回は「三国志演義での死因である呪い」、これについても焦点を当てて考えていきたいと思います。
この記事の目次
三国志演義の孫策の死因、恐い!(色んな意味で)
さてまずは三国志演義での孫策の死因を見ていきましょう。知っている方も多いと思いますが、孫策は三国志演義では于吉という道士に呪われて命を落とします。その経緯ですが、当時、于吉という道士が人気があり、これを人心を惑わすものとして孫策は于吉に無理難題を押し付けるものの、これを于吉はこなしてしまいます。
しかし孫策はこれに怒り、言いがかりで于吉を殺害。その後、負傷した孫策の元に于吉が現れ続け、傷を悪化させ、孫策は命を落とすことになります。……個人的に于吉よりも、別の意味で孫策の方が恐いような気がしますね。
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正史における孫策の死因とは?
では正史における孫策の死因とは。ある日のこと、孫策は迂闊にも一人で外出……なんかこの辺り、孫堅の息子ですね。
そこに現れたのは許貢の客人三人、実は許貢は躍進を続ける孫策を警戒し、朝廷に対して恩寵を与えて都に召還する上表を出したことで孫策に問い詰められ、殺されていました。この恨みを晴らそうと三人は孫策を襲ったのです。そして矢によって負傷しました。
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孫策の死因となるもの、襲われた時の傷が原因か?
さてこの孫策が襲った客人たちですが、三国志演義では色んな意味で印象に残っている陳登による暗躍とも言われています。陳登は以前から孫策と敵対していて、そのため許貢の残党を扇動したのですが、それを知った孫策は怒って陳登を討伐しようとしており、その途中で許貢の客人に襲われたのですね。
このため重傷によって自らの命運を悟った孫策は後継者に弟の孫権を指名、そして26歳でその生涯を閉じました。これを見ると、襲われた時の矢傷、もしくはその他の傷が大きく、それが死因となった、と想像できますね。
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孫策のその死因、暗殺では?
ここで孫策の死因、実質的には傷によるものですが、その死には
「暗殺」
というワードが囁かれています。確かに許貢の客人による暗殺と言えますし、また陳登が暗躍している件を考えても、確かに孫策は暗殺された、と言えるでしょう。しかし実は、更にある人物が以前から孫策を暗殺しようと動いていたのではないか、と考えられているのです。その驚愕の人物とは……?
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孫策を暗殺した可能性のある、とある人物の存在
その人物とは、曹操がその才覚を愛し、期待し、そして失ったかの人物……郭嘉です。実は曹操は袁紹との決戦を前に、孫策が背後を突いてこないか心配でしょうがない、そこで郭嘉が一言。
「大丈夫です、孫策は近々暗殺されますから(要約)」
そしてまさかの郭嘉の言葉は的中。実際に孫策はこの後すぐ、郭嘉の言葉通りに暗殺されました。これは郭嘉の未来すら見通す才……ではなく、郭嘉自身が孫策暗殺に暗躍していたのでは?とも言われています。しかしここではあくまで「孫策の死因は呪い」を主張したいと思うのです。
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「呪い」によって死んだ孫策
郭嘉の言葉では要約させて頂きましたが、実はこのような言葉がありました。
「孫策は多くの人間から恨みを買っており、それを警戒してもいない」
郭嘉の言葉通りとするならば、孫策は許貢の一件を始め多くの恨みを買っていました。ある意味、陳登と以前から敵対していたのもそうでしょう。しかし孫策はそれでいて尚、一人で出歩くなど警戒心が皆無でした。暗殺されるのは当然の結果としても、それは果たしてこの一件だけだったのか?
例えばこの一件が失敗したとしても、その後は暗殺する者たちは出てこなかったのか?多くの人間が孫策を恨んでいたというなら、孫策は多くの人から「殺されてしまえばいいのに」、と、思われていたのではないでしょうか。
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孫策の死因は、呪いであったのか
三国志の著者、陳寿もまた孫策の才覚や志を称える一方で、軽弾みで思慮が足りないと評しています。良く考えずに行動したために恨みを買い、他者への配慮が足りないからその恨みは深くなる。更に言うなら本人の強さは本物なので、力の足りない人々は「呪い」しかなかった。呪えば相手が必ず死ぬわけではないけれど。それでも弱者からすれば呪わずにはいられない。
そんな人物だったからこそ、孫策は若くして命を落とすことになったのではないかと思います。ならば孫策の死因は、呪われるだけの行動をしていたからこそ。そんな風に考えることも、できるのでは、と思いました。
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三国志ライター センのひとりごと
孫策、父親である孫堅と同じく、どこか軽率な面があるように思います。それに加えてどうにも他者への、特に自分に敗北した者達への配慮がないというか……短期で力を付けたからこそ恨みもかなり大きいと思うのですが、そこへの配慮が感じられない。だからこその「呪い」。
三国志演義で孫策が呪いで命を落とすのも、そういう面が強調されたのではないかと考えられます。そういう意味では孫策が、もっと永く生きてどう生きるか、どう考えるようになるか。そんな一面も見て見たく成る武将ですね。ちゃポリタン。
参考:呉書 孫破虜討逆伝 孫策伝
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