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[三国志の終焉]姜維北伐の失敗、蜀の悲劇的衰退へ

2023年12月23日


 

姜維と諸葛亮

 

 

姜維(きょうい)は元々魏に仕えていましたが、後に蜀に仕えた人物です。姜維は北伐で有名な人物で、北伐をしなかったら、または北伐が成功していたら蜀は長続きしたかもしれないと感じる三国志ファンがいると言われています。今回の記事は姜維の北伐の経過と失敗にいたる原因を取り上げます。北伐の失敗の原因から、もし北伐が成功していたら姜維はどうなっていたのか。蜀はどうなっていたのか取り上げます。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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北伐の経過

蜀の姜維

 

北伐というと、諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)が行ったという印象を受ける人が多いと思いますが、実際に諸葛亮の後は姜維が行っています。ここでは姜維の北伐の経過について取り上げます。228年に諸葛亮が北伐を始めました。これが第一次北伐ですが魏に敗北しました。諸葛亮の第一次北伐の途中、天水の豪族姜維は、蜀軍を偵察中に上官に内通を疑われ城に入れてもらえなくなった事でやむなく諸葛亮に降伏しました。

 

以降、姜維は北伐に従軍し、諸葛亮の下で頭角を現すようになりました。諸葛亮が死亡してから、姜維は諸葛亮の遺志を引き継ぎ、北伐を続けようとしました。しかし、当時政権の中枢にいた費禕(ひい)の反対で充分な兵を与えられませんでした。姜維が実際に北伐を開始したのは、費禕の死後でした。最初の北伐は順調に進みます。徐質(じょしつ)王経(おうけい)という魏の武将を討ち取りましたが、256年の段谷(だんこく)の戦いで魏に大敗してから、姜維による北伐の戦況は不利になりました。

 

戦況が不利になったため、いったん北伐を中断しましたが、その後、262年に北伐を再開します。北伐を再開しても魏に敗れました。結果、姜維は蜀の政権内で完全に孤立しました。姜維は完全に孤立することになり、263年蜀は魏の鍾会(しょうかい)鄧艾(とうがい)に攻められ滅亡します

 

 

 

北伐の失敗の原因

ボコボコにされる姜維

 

姜維の北伐は失敗に終わりました。北伐に失敗した原因について取り上げます。

 

一つめは、蜀は人材に恵まれなかったと言われています。蜀では劉備(りゅうび)が皇帝の時代の末期に起きた夷陵の戦いの敗戦で多くの人材を失い、時代が進む程に古参の名将が減少して人材不足に拍車が掛かりました。一方で、劉備が荊州から入った外来政権であった事から、益州の豪族が抑えられ荊州閥が優遇された事も人材の力を活かせない理由でした。劉巴(りゅうは)許靖(きょせい)のような高名な荊州の人材がいたかと思うと荊州出身というだけで高官としてずっと蜀に仕えていた来敏(らいびん)がいたという記録が残っています。

 

二つめは蜀と魏の国力差の問題です。姜維が北伐を始めた頃、魏は国力の安定によって人口が増え、440万人になりました。一方で、蜀は人口が増えず、94万人でした。魏と蜀の国力の差が歴然となっていたため、姜維が北伐をすること自体、無謀なことだったと言えるかもしれません。

 

 

 

北伐を成功させるには

夏侯玄

夏侯玄(かこうげん)

 

姜維の北伐の失敗の原因を考えると諸葛亮の代から北伐が続きましたが、蜀と魏の国力差を補わない限り、成功することはできなかったと考えられます。姜維が北伐を成功させるにはどのようなことが必要になるのでしょうか。異民族を味方につけることが考えられますが、それだけでは不十分です。司馬氏の台頭で地位が危うくなった曹氏や夏侯氏と結んで内外で魏に対抗すれば、北伐成功の可能性が出るかもしれません。

 

 

三国志ライターオフィス樋口の独り言

三国志ライター オフィス樋口

 

今回は姜維の北伐について取り上げました。姜維の北伐は諸葛亮の遺志を引き継ぐことで始まりましたが、諸葛亮と同様、北伐は失敗に終わりました。失敗の原因として蜀と魏の間に国力の差があったことを取り上げました。国力の差の具体例として、蜀に有能な人材がいなかったことや蜀と魏の人口の差を取り上げました。

 

では、姜維の北伐が成功していたら蜀は長続きしたのでしょうか。仮に蜀は北伐に成功したとしても長続きすることができなかったと考えられます。国力の面で、蜀が領土を広げることができたとしても範囲は限定的になることや奪われる可能性が高いと考えられます。次に、仮に姜維が北伐をしなかったら蜀は長続きしたのでしょうか。北伐をしなかったとしても蜀は長続きしなかった可能性があります。当時、有能な人材がいなかったため政権内部から蜀の崩壊が始まったと言われています。結論を言えば、姜維が北伐をしなかったとしても、あるいは北伐を成功させていたとしても長続きしなかった可能性が高いと言えるかもしれません。

 

 

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自己紹介:フリーランスで予備校の講師をしています。 歴史が好きで、予備校では主に日本史を指導しています。 センター試験の点数を40点台から80点台に伸ばした実績があります。 好きな歴史人物:徳川慶喜(理由:多趣味であることが共通しているから)

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