三国志では豪傑同士の一騎打ちが戦場の花形です。その中でも西涼の錦馬超こと「馬超」は、曹操配下の猛将・許褚や劉備の義弟である張飛と一騎打ちを演じて引き分けています。馬超の強さは、まさにエース級なのです。
しかし、これは「三国志演義」のお話で、「三国志正史」には記載されていません。そもそも三国志正史には、一騎打ち自体が全体でわずか3つしか紹介されていないのです。今回は馬超の一騎打ちに関する逸話をご紹介いたします。
三国志正史に登場する一騎打ち
それでは三国志正史に登場する3つの一騎打ちとは、どのようなものなのでしょうか?馬超は登場するのでしょうか?馬超は、登場しま・・・・・・す!!!(よかったー)
まず最初に登場する一騎打ちは、「呂布VS郭汜」です。いや、それは呂布の圧勝でしょう、って思った皆さん・・・・・・正解です。でも意外に郭汜も健闘しているんです。何といってもあの董卓に認められた猛将ですからね。
兄弟分の李傕も郭汜の武勇を恐れたといいます。ちなみに郭汜は呂布に討ち取られたわけではありません。これは勝てない、と感じて退却したようです。あの呂布と戦って、首を討たれなかっただけでも凄いことです。
最高の一騎打ち名シーンといえば
最後に登場する一騎打ちが、三国志演義でも有名な「孫策VS太史慈」です。
かなり壮絶な戦いだったようで、互いに相手の武器や防具を奪うという死線すれすれの激戦を演じました。こちらの結果は引き分けでした。そして互いに実力を認め合って協力し合う関係を築いています。少年漫画で主役が仲間を増やしていく際によくありがちな、典型的な展開を実践したのが、孫策なのです。親友である周瑜とも、最初に出会った子供の頃には一騎打ちしたことあるんじゃないでしょうか。
お待たせしました馬超の登場です
前後してしまいますが、三国志正史に記載されている二番目の一騎打ち、そこに登場するのが馬超です。相手は誰だと思いますか?
許褚、ではありません。張飛、でもありません。なんと、閻行です。「馬超VS閻行」なのです。え?誰?そうですね。三国志演義には登場しない人物ですから、ご存知ない方もいるでしょう。閻行、字は彦明。韓遂の家臣の将校です。
馬超と共に韓遂が反乱を起こすことに反対し、留守役を務めています。敗戦後、韓遂は閻行が曹操のもとに寝返ることを恐れ、末娘を強引に娶らせました。韓遂だけでなく、曹操からもその能力を認められた武将です。
馬超VS閻行の結末は?
馬超の父親の馬騰と韓遂が対立していた頃、馬超と閻行が激突。閻行は馬超を矛で突き刺しました。さらに折れた矛の柄で馬超の首を殴って半死半生まで追い詰めました。そうです。馬超はいきなり負けているのです。蜀びいきの三国志演義は馬超をかなり脚色しています。馬超は蜀を代表する将軍となるからです。馬超を破った閻行の存在が邪魔になったことはいうまでもありません。
閻行が登場しないのは意図的なものでしょう。閻行は最終的に曹操に仕え、列侯に取りたてられています。
三国志ライターろひもと理穂の独り言
馬超が袁氏勢力との戦いで、足に矢傷を負いながらも袋で包んで戦い抜いて、その武勇を示したのは、閻行との戦いの後になります。おそらく閻行とのバトルの後、よっぽど悔しくて修行したのではないでしょうか。馬超ファンにとっては認めたくない話ですが、誰だって失敗や挫折をするものです。そこから学び、成長する者こそが本当の強者でしょう。
「成功したければ、成功への願いが、失敗への恐れよりも強くなければいけない」というのはマイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏の言葉です。三国志演義には存在しないエピソード。しかし、三国志演義は理想ばかりを追っていたために、本当の馬超の強さを描き切れなかったのかもしれませんね。
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