最近、とても嬉しい、と思っていることがありす。ほんの一昔前の、三国志を題材にした漫画や小説では、登場が遅すぎるために存在そのものをカットされがちだった、ある有能武将が、このところ少しずつ認知度が高まってきている様子なのです!
劉備や諸葛亮孔明が亡くなった後の時代についても最近はライトが当たるようになってきた傾向のおかげでしょうか。実に、嬉しいことです!その武将というのは、三国時代の歴史を通じても破格な規模の大反乱軍を独力で立ち上げた人物であり、名前に「諸葛」と入っている人物!
認知が上がってくれば、今後きっと、人気も上がってくる筈でしょう?誰のことかって?すなわち、諸葛誕です!
この記事の目次
ほんとうは怖い諸葛誕!「諸葛」の名に恥じぬその能力!
もしこれまで諸葛誕を知らなかった人でも、「諸葛というからには、あの諸葛亮や諸葛瑾の親戚なのかな?」と思ってくれるでしょう。はい、まさに、その通りです。
「ああ!わかった!蜀滅亡の時、鄧艾の侵攻を前に優柔不断な用兵をしてボコボコにされた、諸葛亮の残念な息子のことか!」と思った方がいるかもしれませんが、それは諸葛瞻という別の人です。今回の主役である諸葛誕とは別人です。
おまけに、残念ながら、諸葛誕は「諸葛」と名前に入っていながらも諸葛亮との親戚関係は近くなかったようで、蜀ではなく、魏の武将でした。ただし彼は、魏における単なる一武将ではなく、魏の司馬一族からも一目おかれ、重用されていた人物でした。
特に、続々と魏の重臣が粛清されていた司馬師、司馬昭の時代に、安定の信頼を得て呉との前線を任されていたというだけでも、大変な厚遇です。司馬師や司馬昭には、「使える」武将であれば、自分達に逆らわなければとことん仕事をまかせる傾向があり。彼らに一目置かれていた諸葛誕、相当に魏でも期待が高かった人と推測できます。
ところが諸葛誕の真価は、意外なところで発揮されました。魏の内部で、大反乱を引き起こしたのです。
こちらもCHECK
-
諸葛誕と諸葛靚、魏の狗と呼ばれた親子の功績とは?
続きを見る
実は三国時代でも有数の規模だった「諸葛誕の乱」!
直接の引き金となったのは、あるとき、賈充という人物から「もし魏の曹氏になり替わって皇帝になる者が現れたら、君はどうするか?」と質問を受けたことでした。
それに対して諸葛誕、「自分は曹一族からの恩義に報い忠誠を尽くして働いているのだ。もし曹家になり替わって皇帝になるヤツがいたらぶっこわす!」という優等生な返事をしたのですが、この返事が、賈充からまんまと司馬昭にチクられてしまい、諸葛誕はたちまち警戒される立場となります。
それならば、やられる前にやれ!とばかりに、諸葛誕は反乱に踏み切ります。その規模は一説には、なんと15万人を超えたと言われています。
三国志の時代を通じても一武将が反乱のためにかき集めた編力としてはかなりの大規模。これだけの反乱軍をたちまち準備し、その大将としてドンと構えていた諸葛誕、その人物像について伝わっている情報が少ないのが残念ですが、よほどな器だったものと推測できます。
こちらもCHECK
-
諸葛誕の一族は蜀と呉の諸葛氏に負けず三国志の乱世を生き延びた勝ち組だった!
続きを見る
諸葛誕が蜀に投降してきてくれればすべては上手くいったのでは?
残念ながらこの諸葛誕の乱、そうはいっても規模で勝った司馬昭の正規軍によって結局は鎮圧され、諸葛誕は戦死します。ただし、ここでも多くの武将が、諸葛誕の死後にも司馬昭に降らず堂々と処刑されたと言いますから、やはり人望の厚い名将だったものと推測できます。
諸葛誕の大反乱が失敗した後しばらくして、司馬昭は鄧艾と鍾会を派遣して、いよいよ蜀を滅亡に追い込みます。ですが、ちょっと待ってください!
諸葛誕の乱の失敗後に、蜀の滅亡が起きている?そんなタイミングならば、諸葛誕、反乱失敗時にむざむざ命を落とさず、その足で蜀に逃げ延びてくれればよかったのでは?そう思ってしまう三国志ファンの方は多いのでは?私も、まさに、そう思います!今回、諸葛誕という人物について紹介したのも、そのイフ展開を皆さんにも検討いただきたかったからです。
こちらもCHECK
-
【劉備・曹操・孔明英雄亡き後】軍事面で活躍した人物は鍾会、鄧艾それとも諸葛誕!?正史三国志・魏書からご紹介
続きを見る
15万単位の用兵経験を持つ諸葛誕が蜀に来てくれたらあり得たこと
このイフ展開で考える時にヒントとなるのが、諸葛亮の息子である諸葛瞻との比較です。
史実の諸葛瞻は、蜀において、特に大きな戦績もなかったのに、「あの諸葛様」というネームブランドのおかげで異常なほど周囲から期待されており、蜀滅亡直前には重要な防衛拠点の指揮を任されていました。
そして鄧艾の奇襲の前に惨敗。蜀の本拠地、成都が陥落する原因を作っています。だが、そんな蜀滅亡よりも少し前に、諸葛誕が蜀に来てくれていたら?
「あの諸葛様」というネームブランドで諸葛瞻が既にちやほやされていたという蜀の空気。ここに、実際に15万クラスの用兵経験がある諸葛誕が投降してきたら、まさに神様仏様、さっそく重臣として要衝を任されていたことでしょう。
こちらもCHECK
-
諸葛瞻の評価は如何ほどでありますか?黄皓派だった諸葛亮の息子
続きを見る
まとめ:夢の対決「諸葛誕VS鄧艾」と、その陰で流れる諸葛瞻の涙
すなわちこのイフ世界では、蜀攻めの鄧艾の前に立ちはだかるのは、諸葛瞻ではなく、諸葛誕なのです!魏で様々な経験を積んできており大反乱軍の首魁というプレッシャーのかかる立場も経験、そして司馬昭に強烈な恨みを抱いている諸葛誕。
ここに鄧艾が襲い掛かっても、そう簡単に突破はできなかったのでは?蜀はもっと長生きできたかもしれませんし、少なくとも、「諸葛誕VS鄧艾」という、華のある夢対決が実現していたでしょう。
こちらもCHECK
-
蜀は龍を。呉は虎を。魏は狗をで知られる諸葛誕の一族が一番優秀だった!?
続きを見る
三国志ライターYASHIROの独り言
どうでしょう?このイフ展開、ぜひ、見てみたいと思いませんか?
と、いろいろ考えているうちにうっかり、諸葛瞻に対して何だか冷たい記事になってしまいました。このイフ世界で諸葛誕の陰に隠れてしまった諸葛瞻の複雑な心境を考えると胸が痛みますが、しかしかの反乱の巨大さを振り返ると、やはり「諸葛」の名にふさわしい働きをしてくれそうなのは、可能性としては諸葛誕のほうかと思ってしまいます。
第一名前の響きがいいですよね。蜀の武将たちも、諸葛誕とはすぐに仲良くなって、気軽に声をかけるのではないでしょうか?「諸葛たーん!」と・・・。
こちらもCHECK
-
魏の諸葛誕が反乱に失敗した原因ってなに?
続きを見る