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改革者・袁術に見込まれた男[徐璆が選んだ驚きのキャリア]

2024年12月20日


 

徐璆 孟玉(じょきゅう もうぎょく)は、後漢末の時代を生きた人物です。彼の生き方は、清廉潔白にして他者の手本となるような模範的な生き方をしていたことが言い伝えられています。後漢末では、意地汚い宦官達による汚職政治が横行していました。

 

清く正しい生き方をした若き徐璆

 

官職についた徐璆(じょきゅう)にも賄賂を黙認するように命令が入ります。しかし、彼はこれを拒み、次々罪を告発していきました。悪魔の囁きにもNOと言える人物でした。そんな彼も、乱世の真っただ中、皇帝を自称する袁術(えんじゅつ)に見込まれ、ヘッドハンティングされます。

 

罠に嵌められたが免罪される徐璆

 

漢の皇帝である献帝(けんてい)を裏切り、新時代の(自称)皇帝袁術(えんじゅつ)に仕えるように迫られます。今回は、徐璆(じょきゅう)と彼を自身の配下としようとする袁術(えんじゅつ)の掛け合いについてご紹介致します。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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後漢末における乱世

 

霊帝(れいてい)の死後、董卓(とうたく)献帝(けんてい)を丸め込み権力を得ますが、その後配下である呂布(りょふ)の裏切りにあって滅び、乱世が加速します。

 

献帝を保護する曹操

 

この時、献帝(けんてい)を保護した曹操(そうそう)と、次代の皇帝を自称する袁術(えんじゅつ)の二大勢力が並び立ちます。袁紹(えんしょう)とか孫策(そんさく)とか劉備(りゅうび)とかもいますが、ともかく二つの勢力が並び立ちました。この間、都が長安から許昌に変わるというイベントも起こります。

 

 

袁術に捕まる徐璆

 

徐璆(じょきゅう)は、許昌に向かっている時のことでした。突然、袁術軍が現われ、徐璆(じょきゅう)は捕えられてしまいます。彼を捕えた袁術(えんじゅつ)が言います。袁術(えんじゅつ)「今の世は乱れに乱れ、漢は終わりを迎えようとしている。漢の皇帝はもはや廃位したも同然だ。余は帝位に就くつもりだ。お前が余に仕えるならば、献帝(けんてい)の下で働くよりも高い地位につけてやるぞ。給料アップでウハウハだぞ。」袁術(えんじゅつ)は徐璆(じょきゅう)を召抱えようとしていたのでした。

 

 

 

袁術の演説

 

袁術(えんじゅつ)「余が次の王朝を『仲』を築き帝位に就く、これは天命である。」ここから、袁術(えんじゅつ)のトンデモ理論が発せられます。袁術(えんじゅつ)「まず、我が袁家は陳の舜帝(しゅんてい)の末裔だ。乱世の世に号令する義務がある。次に、舜帝(しゅんてい)は土徳を以って天下を治めたが、五行の巡り会わせで考えれば、木火土金水のうち現在の『漢』は『火』にあたり、その次は『土』の徳を持つ余が引き継がねばならぬ。

 

最後に予言の書によれば”漢に代わるものは、当塗高である”とあり、これは『塗(みち)にあたりて、高く聳えるもの』の意味を持つ。余の名である"術"と字の"公路"(こうろ)はいずれも"みち”を意味している。これは、漢に代わる王朝を余が築くべきとの天命じゃ。」なにやら、随所にもっともらしい事を述べていますがようするにただの逆賊ですね。

 

これに対して、徐璆(じょきゅう)「龔勝(きょうしょう)と鮑宣(ほうせん)はどのような人物であったでしょう。死んでもあなたには従いません。」と返します。この一言で袁術(えんじゅつ)は、沈黙してしまいます。

 

 

徐璆の返答の意図とは・・・

 

徐璆(じょきゅう)の返答は、如何なる意味だったのでしょうか。龔勝(きょうしょう)と鮑宣(ほうせん)は、前漢時代を生きた人物です。その時代、王莽(おうもう)の帝位簒奪によって、前漢王朝は滅んでしまいました。

 

ダークサイドに堕ちた王莽

 

王莽(おうもう)は、各地にいる豪族や朝廷内の臣の中で自分に服従しない者は皆殺すと脅すことで、衰退した前漢を乗っ取りました。ところがこの龔勝(きょうしょう)は屈せず、主の鞍替えを良しとしないで断食して死んでしまいました。

 

鮑宣(ほうせん)も同時期に、従わなかった達とともに獄に入れられました。鮑宣(ほうせん)は獄中で自殺してしまいました。龔勝(きょうしょう)と鮑宣(ほうせん)は、いずれも王朝の終わりにあって、主を変えることを良しとせず、死を選びました。徐璆(じょきゅう)の返答は、『例え袁術(えんじゅつ)が正しく、漢が滅ぶとしても漢とともに死を選ぶ』ことを意味していました。徐璆(じょきゅう)の返答に袁術(えんじゅつ)は勧誘を断念しました。

 

 

三国志ライターFMの独り言

 

おそらく、袁術(えんじゅつ)は勧誘を断られて、ようやく『自身が無理なことを押し通そうとしている』ことに気が付いたのでしょう。私が思うに、袁術(えんじゅつ)は徐璆(じょきゅう)のその清廉潔白な人柄とその統治能力を知り、彼を自身の配下に欲しいと思ったのでしょう。

 

乱世にあって裏切りや不徳を嫌うそのような優れた人物ならば、自身の配下にいても寝首を掻かれることは無く、また忠臣として主君の為に尽力するでしょう。しかし、そのような人物が、現在の主君を裏切り、自身の配下になることなどありえません。もしも待遇やら高碌やらで簡単に裏切ってしまうようであれば、そのような人物は袁術(えんじゅつ)が求める人物でもないはずです。

 

参考

後漢書 第六冊 列伝三十八徐璆伝

漢書 王莽伝

 

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【そもそも論】どうして袁紹や袁術には力があったの?

 

 

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三国志は、大昔の出来事ですが、物語をいろいろな視点や切り口で見ていくと、新しくて面白い発見があるのが好きです。 人物像や対人関係、出来事、時代背景、逸話等々、古い話とはいえ、学ぶべきところはたくさんあります。 埃をかぶせておくにはもったいない、賢人たちの誇りがあります。

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