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三国志演義でも吉川三国志でも[定軍山で秒速で死んでしまう夏侯淵]、どうして軽い扱いになった?

2023年2月26日


吉川英治様表紙リスペクト

 

 

私と三国志(さんごくし)との最初の出会いは、十代のある夏休みに、吉川英治(よしかわえいじ)の小説版を読んだこと。そして吉川英治の小説版が三国志の初体験だった人なら、きっと、次の叫びの意味、わかってくれるものと思います。

 

「あれ? 夏侯淵(かこうえん)って、いつのまに死んじゃったの!?」

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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曹操軍きっての功臣がこの最期とは・・・

黄忠

 

吉川英治版でも、そのモトネタとなっている『三国志演義(さんごくしえんぎ)』でも、夏侯淵は定軍山の戦い(ていぐんざんのたたかい
)
で、黄忠(こうちゅう)に斬られて、退場となります。それは同じなのですが、吉川英治(よしかわえいじ)の扱いとして、終わり方が、あまりにも、あっけない。

 

黄忠VS夏侯淵

 

「魏の兵、乱れて打ちかかるものもなく、太刀一閃、夏侯淵が手もとにおどりかかって、首から肩にかけて真二つに斬って落とした」

 

これが夏侯淵の戦死シーン。唐突に、わずか一行で、黄忠に殺されております。

 

私がこの箇所を初めて読んだとき、「きっと『真二つに斬って落とした』というのは文学的な比喩であって、夏侯淵は落馬した程度ということだな」と誤解したまま、読み進めてしまったものです。そして十行ほど読み進めてから、

 

「あれ?なんかおかしい。

ひょっとして、さっきの一行で、夏侯淵は死んじゃったの??」とショックを受けて、もう一度その箇所まで戻って読み直した、という次第。

 

これは吉川英治版だけの特性なのか?

 

羅貫中

 

そう思って、羅貫中(らかんちゅう)の『三国志演義』の該当箇所を読んでみると、「夏侯淵が指図をするまもなく、黄忠軍が襲いかかってきて」

「夏侯淵は応戦する間もなく、たちまち斬られた」「そのときの黄忠をたたえる歌ができた」

 

という案配で、黄忠を賛美する言葉がつらつらと掲載されています。うーん、夏侯淵の扱いは、いくぶんマシですが、あっけなさ、という意味では、あまり印象は変わらないかも。

 

法正に敗れる夏侯淵

 

前半で活躍していたはずの夏侯淵の、このあっけない退場。

 

しかもこの定軍山の戦い、蜀の軍師法正の、「あそこを守っているのは夏侯淵だから、今攻めればなんとかなる」と完全にナメきったセリフから始まる戦いなので、なおさら痛い。

 

魏の夏侯淵

 

このインパクトの為に、歴史シミュレーションゲームの世界で、夏侯淵といえば「武力は高いが、頭が弱い」「自軍に孔明(こうめい)や法正といった有能な軍師がついていれば、埋伏の計(まいふくのけい)流言飛語の計(りゅうげんひごのけい)もかけ放題になるカモ」という扱いにされてしまいました。

 

 

 

法正・黄忠コンビが大躍進した、「定軍山の戦い」とは?

法正と夏侯淵

 

ところで、この定軍山の戦い、夏休みに楽しく読んでいた十代の頃の私には、ことさら印象深い戦いでした。というのも、蜀が単独で魏に対して仕掛けた戦いで、(失礼ながら)「大勝した」といえるのは、この一回くらいじゃないですか。

 

しかも諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)「以外」の軍師(法正)の作戦が採用されて、勝利に貢献しているという点で、ますます蜀にとって意義が大きい。

「ようやく、蜀も、いい感じにまとまってきたのだな」と、ワクワクしたものでした。

 

祁山、街亭

 

そればかりではありません。この戦いで(しょく)が勝ち取った「漢中(かんちゅう)」という場所そのものが、中国史ファンにとってはたまらないロマンを掻き立てる、由緒ある地名なのです!これについては、曹操も同じ意見のようで、「漢中は重要拠点というわけではないが、劉備(りゅうび)に取られるわけにはいかん土地なのだ」というような意味のことを言っています。

 

二刀流の劉備

 

定軍山の戦い(ていざんぐんのたたかい)の勝利は、読者にとっては、「蜀が天下を取るなどなさそう、と思っていたが、ひょっとしたら、ひょっとするかもしれんな・・・」と思わせてくれるだけのインパクトがある、快勝なのです。

 

敗れる関羽雲長

 

この戦いの後から、荊州(けいしゅう)関羽(かんう)が破れ、

 

夷陵の戦いで負ける劉備

 

夷陵(いりょう)劉備(りゅうび)が破れと、蜀の落日が始まってしまうのですが。

 

 

関連記事:郭淮が夏侯淵の死後に才能を開花させる!!

 

 

ところで、どうして「漢中」が大事なのか?

劉邦と項羽

 

この問いについては、中国史ファンにとっては言わずもがな、かもしれませんね。

 

項羽と劉邦

 

これまた有名な古代中国の戦い、三国志よりもさらに数百年前の物語、いわゆる「項羽(こうう)劉邦(りゅうほう)の戦い」において、逆転勝者の側となった劉邦(りゅうほう)が拠点としていたのが、漢中(かんちゅう)なのです。

 

劉備の黒歴史

 

で、その劉邦が建国した王朝が、漢王朝(かんおうちょう)。で、その「漢王朝の血筋なんだぞ」と言い張って蜀を建国したのが、劉備玄徳(りゅうびげんとく)

 

三国志の主人公の劉備

 

漢中を拠点にしぶとく戦い大逆転をした劉邦の故事は、当然、三国時代の人々にも有名な話だったでしょうから、その血筋を主張する劉備が同じ漢中を拠点に置くことは、宣伝効果として絶大なはずです。

 

法正

 

これを理解して、「スキをついて、漢中をぜひ、とってしまいなさい」と提案したのが、蜀の隠れ名軍師、法正(ほうせい)

 

手紙を読む曹操

 

これを理解して、「あそこだけは、とられるなよ」と厳命していたのが、曹操(そうそう)

 

夏侯淵

 

その曹操の命令を受けて漢中を守っていたのが、夏侯淵(かこうえん)張郃(ちょうこう)

 

五虎大将軍の黄忠

 

で、結果としては、この「絶対に負けられない戦い」を見事に落とした夏侯淵は、おおいにネームバリューを落とし、それを斬った黄忠はおおいにネームバリューを上げ、のちに同じ土地で馬謖相手に見後にリベンジマッチを飾る張郃もネームバリューを上げ、法正は三国志マニアの間からは「法正って実は凄くない?」の高評価を得ることになりました。

 

 

私見ながら、漢中こそ、「三国志らしい」風景の土地だと思う

祁山、街亭

 

私見になりますが、漢中という場所は、いいですね!古代中国を扱った絵や漫画で、高い山々の絶壁に渡された細い架け橋(桟道(さんどう
)
)がよく描かれていますが、あの「桟道のある風景」が、まさに、漢中の風景です。あれらの桟道は、現在も、ちゃんと、あります。

 

劉雄鳴は三国志の仙人

 

当然、現在の漢中の桟道は、その後の時代に作り直されたものですが、聞くところによると現地のお年寄りの中には、「あれは劉邦の時代からずっとある桟道(さんどう
)
なのだよ」と信じている方もいるそうで、そんなあたりが、まさに、中国ロマン!

 

法正

 

残念ながら、実際に行ったことはないのですが、ぜひ、一生に一度は訪れてみたい。そして実際にその上を歩けるという桟道を散歩してみて、「この山々の間で、法正や黄忠が戦っていたのだな」と、想いを馳せてみたいものです。

 

三国志ライターYASHIROの独り言

三国志ライター YASHIRO

 

え?夏侯淵の鎮魂も大事ですって?

そうでした、夏侯淵は、ここで死んだのでした。

またしても、彼のことを忘れておりました。。。合掌。

 

 

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YASHIRO

とにかく小説を読むのが好き。吉川英治の三国志と、司馬遼太郎の戦国・幕末明治ものと、シュテファン・ツヴァイクの作品を読み耽っているうちに、青春を終えておりました。史実とフィクションのバランスが取れた歴史小説が一番の好みです。 好きな歴史人物: タレーラン(ナポレオンの外務大臣) 何か一言: 中国史だけでなく、広く世界史一般が好きなので、大きな世界史の流れの中での三国時代の魅力をわかりやすく、伝えていきたいと思います

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