曹操の名だたる参謀の一人、賈詡。とつぜんですが、この賈詡という人物について、どのような印象をお持ちでしょうか?
官渡の戦いにて、烏巣への奇襲を提案したり、潼関の戦いにて、馬超・韓遂の仲を裂く離間の計を献策し曹操側勝利のきっかけを作ったりと、曹操のキャリアにおける要所要所で重要な貢献をした人物であることは確かです。
ですがこの人物は、そもそもは董卓や李傕の帷幕にて、さんざん彼らの悪行に対しても参謀として協力していた人物。さらにその後、主君を変えて張繡の配下になっていた時には、曹操に対する反乱を献策し、曹昂と典韋の死亡の原因を作っています。
董卓や李傕の懐刀という過去をもち、曹操の重臣を死に追いやっておきながら、曹操のところで堂々と出世していた人物。
どことなく、気味悪さを感じさせないでしょうか?
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同時代からもその策士としての才能が警戒されていた?
もちろん、賈詡のことが「いかがわしく」見えるのは現代人の基準から見たときであって、戦乱の時代である当時の状況下ではこういう人物はたくさんいたのだ、という意見はあるでしょう。
また曹操の部下になっていたことも、どちらかといえば、このような者も公平に重用していた曹操が偉いのだ、という言い方もできます。ただ、『正史三国志』を見るかぎり、賈詡の生き様に不安を抱くのは、何も現代人だけではないようです。彼は同時代人からも強く警戒されていた人物でした。
- 李傕は賈詡を重用しつつも、人間的には「煙たがっていた」とされている
- 曹操の帷幕にいた時も、自分の智謀が警戒されすぎて身を亡ぼすことにならないよう、賈詡は普段は自宅の門を閉ざし、できるだけ人に会わないようにしていた(うっかり交友を広めすぎると、あらぬ嫌疑をかけられかねないくらい、曹操帷幕中で睨まれていた?)
お世辞にも、温かい人間関係の中で生きられるタイプの人物ではなかったようですし、本人のそのことを理解していたようです。このような人物を手なずけて使いこなしていた曹操が、やはり偉いのだ、ということになりそうです。ですが、ここでもう少し考えてみましょう。
曹操以外の、孫権や劉備であれば、賈詡を使いこなせたのでしょうか?それとも、三国志の英雄たちの中でも、賈詡を使いこなせたのは曹操ただ一人だったのでしょうか?
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もし賈詡が孫権の帷幕にいたら?
たとえば孫権の帷幕に入っていたら、どのようなことになっていたでしょう?
賈詡のことですから、赤壁の戦いにおいて、彼もまた孔明や周瑜と一緒に「逆転劇」を狙って工作を担当していたことでしょう。いや、むしろ、このような工作においては孔明や周瑜以上の才能を発揮したかもしれません。あの手この手で曹操軍に内部攪乱をしかけ、赤壁の勝利に貢献し、活き活きとしていたことでしょう。
ただし、周瑜や呂蒙、さらには陸遜のようなきまじめな人材が主導権を握る孫呉では、赤壁の戦いが終わったあと、相当に煙たがられたことでしょう。いやそもそも、肝心の孫権とソリが合わなかったのではないでしょうか。
というのも正史において孫権はある時、 「賈詡のような人物をあんなに出世させているのはよくないことだ。自分なら絶対、あの男をあんなに厚遇しない」という意味のことを言っているのです。肝心の孫権から睨まれる運命にある賈詡。呉では一時的な活躍はできても安定した出世はできそうにありません。
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もし賈詡が劉備の帷幕にいたら?
それでは、劉備のところにいたら?
劉備のところにいたとしても、途中までの展開は孫堅のところにいるのと似ています。きっと赤壁の戦いで、水を得た魚のように大活躍することでしょう。その後の蜀攻めの際にも、さまざまな奇略を巡らせ、劉璋軍を弱体化させる貢献をしたかもしれません。
ただし、賈詡にとっては残念なことですが、「きまじめ」な雰囲気である点では、蜀は呉よりも更に厳しい環境です。関羽がおり、諸葛亮がおり。この環境で、生粋の陰謀家気質、賈詡が自由に仕事をさせてもらえるとは思えません。
いやそもそも、孫権以上に、劉備とソリが合うはずもありません。ただし、「問題を抱えているためなかなか使われないが、たまの大事な時に呼ばれる」者どうしとして、法正と仲良く生きる道を選べたかもしれませんが。
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まとめ:曹操のもとにいるかそれともフリーランス軍師として悠々生きるのか?
こうしてみると、賈詡を使いこなせるのは、やはり曹操だけ。他の者は、賈詡の才能は認めつつも、けっきょく重用することはなく、日陰に追いやってしまったように思います。かつて重臣である典韋を殺したことすら水に流して、賈詡をフル活用し、見返りとして出世もさせてやった曹操は、やっぱり偉い人だったのです!
ただし、曹操の帷幕以外に、賈詡が生きる道がなかったかといえば、そうとも限りません。なにせ、そもそも董卓・李傕・張繡というクセのある主君の下を渡り歩いてきた男です。もともとは、一人の主君にずっと仕える気もなく、その時その時で好待遇をしてくれる主君に仕える、フリーランス気質の人物なのかもしれません。
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三国志ライターYASHIROの独り言
そう考えると、彼には、もうひとつ生きる道があります。曹操・孫権・劉備「以外」の、それぞれの時代の中小主君の下を渡り歩き、それぞれの場で好き放題にその陰謀家の才能を発揮し、ヤバくなったらまた主君を乗り換えてしまうという、悠々自適なプロのフリーランス人生です。
たとえば、馬超・劉璋・張魯あたりの面々を食い物にしていくわけです。この時代、野心家はいっぱいいるので、魏呉蜀の三国が成立した後でも、反乱や小君主の独立が発生したらそこに馳せ参じる、という生き方ができたでしょう。
これは見方によっては辛い人生ですが、しかし、賈詡のような才気が尖っている人物としては、本人にとっては楽しい人生になったかもしれず、むしろ正史通りの曹操の下に「飼われて」いた人生よりも、大活躍をしていた可能性すらあると思いますが、いかがでしょうか?
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