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[三国志・樊城の戦い]魏の援軍が役立った!その数と存在感とは?

2023年10月10日


 

 

敗れる関羽雲長

 

樊城の戦い(はんじょうのたたかい)と言うと、やはり関羽(かんう)や、その関羽を打ち取った呂蒙(りょもう)

 

合肥の戦いの満寵と孫権

 

信じがたいほど強固に樊城(はんじょう)を守った曹仁(そうじん)、それを支えた参謀満寵(まんちょう)

 

樊城の戦い

 

こういった武将たちが挙げられますが、今回は別の観点から樊城の戦いを見ていきます。

 

援軍に向かう陳表軍

 

この樊城の戦いでは目立たないが、実は大きな働きをしている援軍、樊城の戦いでの魏の援軍たちが今回の注目ポイントです。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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樊城の戦い:第一次援軍、于禁

于禁

 

樊城の戦い(はんじょうのたたかい)では、まず()からやってきたのは于禁(うきん)。この于禁は3万の援軍を率いてやってきました。

 

法正に敗れる夏侯淵

 

この以前に魏は(しょく)漢中(かんちゅう)で戦い敗北、有名な定軍山の戦い(ていぐんざんのたたかい
)
で魏は漢中を失っただけでなく、名将夏侯淵(かこうえん)を打ち取られるという大打撃をこうむっています。そんな苦しい状況の中で何とか出した援軍3万、それを率いる将軍は于禁。

 

李典と于禁、黄巾賊

 

于禁は、張遼(ちょうりょう)楽進(がくしん)張郃(ちょうこう)徐晃(じょこう)と共に魏の五将軍と呼ばれる名将です。

 

于禁と李典

 

演義では張遼の活躍が目立つためにそれほど注目されていませんが、正史ではその張遼と並ぶほどの能力を持っている扱いをされている名将、この時点では魏の五将軍筆頭です。

 

関羽

 

その于禁(うきん)が精鋭3万を率いて援軍に来たのですから、関羽もこれには手をこまねく…はずでした。

 

 

 

于禁の悲しみ、ただ運がなかった

強くなる関羽

 

よりにもよってこの援軍、全滅しました。

 

関羽

 

この時に大雨が降って洪水が起こって、軍が水没して避難したところを関羽軍によって攻撃され降伏するという事態になりました。于禁に何の落ち度があった訳ではありません、ただただ運がなかったのです。

 

兵士と禰衡

 

援軍が全滅したというのは籠城している兵から見ると最悪です。

 

援軍が来るという可能性が少しでもあれば頑張ることもできますが、その可能性が0になってしまえば頑張ることができなくなりますからね。

しかも精鋭3万、凄い数の兵が壊滅。

 

曹仁

 

この精神的ダメージは計り知れないもので、このまま樊城も落城してもおかしくないのですが、更におかしいことにこのまま樊城は落城せずに抵抗を続けます。

曹仁

 

なぜここまで守りきれたのかは本当に曹仁(そうじん)がおかしいとしか言えませんが、そこに信じられない事態が起こります。

 

 

樊城の戦い:第二次援軍、徐晃

徐晃

 

于禁の精鋭の援軍が降伏した後、ひと月後に徐晃(じょこう)の援軍がやってきます。その数はなんと10万。

 

3万がひと月前に敗北したのに、その前に漢中でも敗北しているのに、10万の援軍がやってきたのです。そしてそれを率いたのは徐晃。徐晃もまた于禁と同じく、五将軍に名を連ねる名将。その徐晃が10万もの援軍を率いてやってきたのです。

 

兵士 朝まで三国志

 

この10万の援軍はとにかく数だけをかき集めたもので、精鋭とは言い難い兵だったようですが、それでも10万という数は凄い迫力ですよね。

 

激怒する関羽

 

事実この援軍はこの後、関羽(かんう)を樊城の地から追い払っています。

 

空腹の三国志の兵士

 

その陰には前に捕虜になっていた于禁の援軍、3万が関羽軍の食事事情にダイレクトアタックをしたことが関係してきますが、それはまた別のお話。

 

 

二度の援軍を出すことのできた魏の凄さ

于禁と兵士

 

ここで注目するべきは、何よりも魏の国力だと思います。ひと月前に3万もの兵を割いて、しかもそれは全て降伏。

その状態で更に10万もの兵を援軍として出すことができた。これだけでも魏軍の国力の凄まじさが伝わってきますよね。

 

魏の旗をバックに戦争をする郭淮は魏の将軍

 

この時の魏と蜀の国力、人数で比べると三倍差があったと言われています。

蜀が1000万人に対して、魏は3000万人近くあったとも言われているのです。

 

魏の移民政策のプロ、田豫(でんよ)

 

この全てが戦える兵力ではありませんが、人がいるということはそれだけその国の「強さ」も表していると思います。

 

蜀が単独ではなく呉と組んで魏に当たらなければならなかった訳が、この国力差です。そしてその魏の国力は、この樊城の戦いでの援軍から読み取ることができるのです。

 

 

三国志ライター センの独り言

三国志ライター セン

 

数に関しては歴史ですから「盛って」いる部分もあるかと思いますが、それでもやはり大きな差があったということは事実でしょう。

 

樊城の戦い

 

樊城の戦いは魏、蜀、そして呉の思惑と戦いが繰り広げられる戦いですが、その中にある情報からその当時の国々のパワーバランスも読み取れます。

 

袁術、曹操、袁紹(他人とすぐ比較する癖を直す)

 

ついつい派手な戦いを繰り広げる武将たちの活躍に目を奪われてしまう三国志ですが、たまにはこういった背景からその当時を読み取るのも一興なのではないでしょうか?三国志樊城の戦い、その援軍から当時の三国の状態を、貴方はどうみますか?

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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