20万という大軍を率いながら、汜水関の華雄に次々と武将を討ち獲られ足踏みを余儀なくされた反菫卓連合軍ですが、劉備の義兄弟、関羽によって、華雄が一撃で討ち獲られると形成は逆転します。大将を失った汜水関は総崩れとなり、連合軍は、次なる虎牢関に入るのです。しかし、ここには、人中の呂布と謳われた無双の豪傑呂布がいました。
前回記事:21話:汜水関の戦いの功労者
無双の豪傑呂布、参上
呂布は、身の丈2m、全身が赤毛の赤兎馬(せきとば)に跨り方天画戟(ほうてんかげき)を得物に向かう所敵なしです。
「帝に盾突く反逆者共、いつでも来い、我が方天画戟のサビにしてくれるわ」得物を振り回し、呂布は馬上から挑発します。
「ふん、要塞に籠ってばかりのモグラめ!儂が戦というものを教えてやろう」
ここで、北方の雄、公孫瓚が呂布に名乗りを挙げます。公孫瓚は、白髯の名将で白馬義徒という騎兵部隊を率いる中々格好イイ武将です。先の汜水関では、自分の配下の劉備の義弟、関羽が目立ったので、今度は自分がという腹つもりもあったかも知れません。
公孫瓚と呂布の一騎打ち
しかし、一撃打ちあって見ると、公孫瓚は呂布の敵ではありませんでした。
破壊力がある戟を抑えるのが精一杯で、いつ斬られても不思議はありません。
「こりゃあ、まずい、ウチの大将が殺られちまうぜ!!」
ここで、劉備が止めるのも聞かず、義弟である張飛が飛び出します。
桃園三兄弟は、この公孫瓚の配下で大将が討たれるのは困るのです。武勇において、関羽を凌ぐとも言われる張飛が加わりましたが、剛力無双の呂布は涼しい顔です。
「雑魚が、何人束になろうが、俺の敵ではないわ、、」
息切れしてきた公孫瓚が離れた事で、呂布のターゲットは張飛にシフトします。
張飛 対 呂布
張飛の得物は蛇矛(じゃぼう)という曲がりくねった蛇のような刃を持つ矛ですが、呂布の怪力には押され気味になります。
「言わん事ではない、張飛、今加勢するぞ!!」いつ義弟が斬られるかハラハラした関羽も、急いで飛び出します。
「兄者、何で来た!助けなんぞ無用だ!!」
「馬鹿を言え、こんな化け物に1人で挑むなど無謀だぞ!」
「ほお、、少しは出来るではないか、、だが、まだまだ!!」
呂布は涼しい顔を崩さず、関羽と張飛を攻撃しますが、流石は義兄弟、息が合った攻撃で呂布の反撃を防いでいます。
劉備も呂布に挑む
「弟達が、命懸けで戦っているのに、黙って見ていられようか!」
更に、劉備も馬に跨り、呂布に挑んでいきます。憎まれ口を叩く呂布ですが、流石に3対1では分が悪く、隙を突いて、馬首を返して虎牢関に逃げ込んでしまいました。
桃園三兄弟の大活躍に拍手喝さい
呂布にやり込められていた反菫卓連合軍は、桃園三兄弟の大活躍に拍手喝さいします。呂布が虎牢関に逃げ込んだと聞いた菫卓は、反菫卓連合軍を虎牢関で抑え込むには無理と判断し、洛陽を焼き払って長安に遷都する事を決意します。
董卓の長安遷都
これが悪名高い、長安遷都で菫卓は、洛陽の富豪から富を奪い、更に歴代の漢の皇帝の墓を暴いて副葬品を強奪してしまうのです。
実はこれは三国志演義の話
ここまでは三国志演義の話で、事実上の功労者である孫堅の、孫の文字も出てきていません。もちろん、呂布対、関羽、張飛、劉備の一騎打ちも創作です。虎牢関の戦い、汜水関の戦いというのは、三国志演義の中の括りで、正史では、これは陽人の戦いと言われています。陽人城に立て籠り、呂布と胡軫の軍勢を破った孫堅は、胡軫の副将である華雄を斬り、反菫卓連合軍の中で、一番の功績を立てているのです。
董卓・孫堅を仲間に引き抜けようとする
菫卓は、孫堅を持てあまし、縁談を持ち掛けて孫堅を懐柔しようとします。しかし、孫堅が即座に断ったので、洛陽で戦う不利を悟り、洛陽を焼き払って、西の長安まで強引に帝を連れて遷都してしまうのです。多大な犠牲を払い、菫卓打倒を合言葉にした反菫卓連合軍は、廃墟の洛陽を目の当たりにして、急速に打倒菫卓の精神を失っていきます。
そのような中でも、孫堅は、忠義の心を発揮し、菫卓に暴かれた漢の皇帝の墓を修復するなど出来る限りの戦後復興をしています。正史三国志の著者、陳寿は、孫堅を評してこのように言っています。
「勇猛果敢で、決断も早く、忠義の心にも篤く、菫卓に破懐された、陵墓を修理するなど多大な貢献もした。しかし、軽はずみな所があり、それが寿命を縮めたと言える」
孫堅の人生は、この人物評に象徴されているのですが、その続きは、次の機会に書いていきたいと思います。