三国志に登場してくる人物は人間関係が、上手くいっていないケースが多くありました。
今回は三国志に出てくる不仲な人物達同士にスポットライトを当てて、
不仲の人達が起こした面白いエピソードをランキング形式で紹介していきたいと思います。
三国志不仲ランキング第三位:「凌統と甘寧」
呉は孫堅が荊州の劉表に殺された事を恨みに持っておりました。
孫権が呉の当主として立つと早速劉表討伐を開始。
まずは劉表の前線基地を守っている黄祖(こうそ)を攻撃します。
呉の武将である凌操(りょうそう)も水軍を率いて劉表軍と戦っておりましたが、
黄祖配下の甘寧(かんねい)に殺されてしまいます。
その後甘寧は呉に降伏し、孫権(そんけん)の配下に加わります。
凌操(りょうそう)の息子である凌統(りょうとう)は、
甘寧に父を殺された恨みを晴らすため、命を狙っておりました。
そしてある宴席で凌統が剣舞を披露するよう命じられると、
彼は甘寧をこの機会に殺害しようとたくらみます。
甘寧は凌統から発する殺気を察知し、戟をもって立ち上がり凌統と向かい合います。
この殺気だった両者を止めたのは、この宴会の主催者である呂蒙(りょもう)でした。
呂蒙の仲立ちによって両者は何とか戦わずに済み、その場は穏便に収まりました。
知らなかったとはいえ、親の仇を配下に加えた孫権もすごいですが、
凌統と甘寧の中の悪さは修復不可能なほどで、
それを毎回止めていた呂蒙がどれだけ大変であったか…。
呂蒙さんには悪いですが、この二人の宴会でのエピソードが面白かったので、
第三位に選ばせていただきました。
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三国志不仲ランキング第二位:「張遼・楽進・李典」
合肥三銃士の張遼(ちょうりょう)・楽進(がくしん)・
李典(りてん)の三人も非常に仲が悪いです。
楽進は張遼が自分の上にいる事が気に食わず仲は良くありません。
また李典は張遼に一族を殺されていることから仲良くありませんでした。
こうしたぎくしゃくした関係の三人の前に、
孫権軍が大軍を率いて合肥の城を取り囲みます。
張遼は曹操からの命令を聞いて、出撃して孫権軍を撃退しようと李典と楽進に提案。
しかし彼は二人が自分の命令を聞いてくれないのではないかと不安を感じていました。
李典は張遼の策を聞いて「われらは普段、君と非常に仲が悪い。
しかし国家の危機である現在、私の個人の恨みなど小さいことだ」と
言い放ちます。楽進も李典の言葉にうなずき、
張遼と共に出撃して孫権軍を蹴散らします。
現代社会で、個人的恨みを忘れて、会社の組織や政治などで協力する関係が、
ほとんど見られない中、数千年も前には国家が危機に陥ると個人的恨みを忘れて、
協力していた美しいエピソードであったので、第二位に選ばせていただきました。
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三国志不仲ランキング第一位「楊儀と魏延」
やはり三国志の中で一番の不仲であると言えば私は楊儀(ようぎ)と魏延(ぎえん)ですね。
彼ら二人は北伐の際など、作戦上の言い合いになることが度々ありました。
魏延は意見が食い違って楊儀と言い争いなると、すごい剣幕で彼に剣を突き付けて、
脅したそうです。
楊儀は魏延に脅されるとビビッて皆がいる軍議の席で泣いていたそうです。
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三国志ライター黒田廉の独り言
三国志の不仲をランキング形式でピックアップして紹介しました。
彼らは色々な原因から不仲になりますが、国の危機にはしっかりと協力して
敵と戦っております。
私事を優先せず、公の仕事を優先する姿勢を今の政治家の皆さん達にも少しは見習って
ほしいですね。
「今回の三国志のお話はこれでおしまいにゃ。
次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう。
それじゃあまたにゃ~」