西暦234年、秋、五丈原(ごじょうげん)において
諸葛亮孔明(しょかつ・りょう・こうめい)は54年の生涯を閉じます。
蜀の精神的な支柱を失った重臣達、そして孔明を父とも慕う
蜀兵の悲しみは海よりも深く激しいものになりました。
しかし、彼等に悲しんでいる暇はありませんでした。
司馬懿(しばい)は、天文を読んで孔明の死を察知し攻勢に転じてきたのです。
司馬懿、天文から孔明の死を知る・・
孔明が事切れた時、夜空をひと際、赤く大きな星がよぎっていきました。
司馬懿は、その頃、野外で天文を見ていましたが、
この堕ちた巨星が孔明であるという事を察知します。
司馬懿「死んだか、、ついに死んだか、あの孔明が・・」
自身を苦しめ続けた好敵手の最後に司馬懿の胸中を一抹の寂しさが吹きぬけます。
しかし、この合理主義者は次の瞬間には魏軍の総司令官に戻っていました。
司馬懿「好機到来、、孔明を失い動揺する蜀軍に攻めかかり、
そのまま成都まで抜いてみせる・・」
司馬懿はただちに、魏軍に総攻撃を命じました。
今こそ、孔明もろとも、蜀を滅ぼす好機だと司馬懿は確信したのです。
蜀軍は、しんと静まり返り退却を開始する
司馬懿の読みの正しさを証明するかのように、蜀軍に動きが出ました。
五丈原の陣地を引き払い、慎重に撤退を開始したのです。
魏軍は、その蜀軍に襲い掛かりました。
司馬懿「それっ!!孔明亡き蜀など、烏合の衆も同然!打ち崩せい!」
しかし、魏軍が襲いかかると、蜀軍の最後尾にいた1000名余りの
兵がさっと振り向きました。
死せる孔明、生ける仲達を走らす
その1000名の中央に位置する車を見た時、司馬懿は仰天しました。
翻る漢の深紅の大旗には、「漢丞相武郷侯諸葛亮」の金字が染め上げられ、
その真下には、道服に白羽扇を構えた孔明が涼しい顔で座っていたのです。
司馬懿「ばっ!!バカな、こ、ここ、孔明が生きて・・!」
司馬懿は卒倒しそうな程に驚きました。
孔明の横からは、三十代になったばかりの成年武将が、
高笑いをしながら矛を構えて飛び出してきます。
孔明の戦術の全てを受け継いだ愛弟子である、
姜維伯約(きょうい・はくやく)です。
姜維「漢の逆臣、司馬懿仲達!丞相が死んだ今なら、
我が軍を滅ぼせようと、のこのこ穴から出てくるとは浅ましき輩
その程度の魂胆は、丞相はすでにお見通しであったわ!
どれ、貴様の冥途の土産に、この姜伯約の腕前をみせてやろう」
司馬懿「あわわわ・・退けい!退けい!孔明の罠だ!」
飛び出してきた姜維の一軍に、司馬懿は生きた心地もせず、
すぐに馬の首をめぐらして逃げ出しました。
もちろん、司馬懿が逃げるのを見た魏軍も総崩れになります。
姜維は、そこに突撃し魏軍を存分に打ち破って引き揚げました。
司馬懿絶句、孔明は天下の奇才なり
さて、種明かしをすれば、実は孔明に見えていたのは、
生前に孔明が造らせていた木製の人形でした。
死が近い事を知っていた孔明は、蜀軍を安全に退却させる為
自分にソックリの人形を造り、魏軍が攻めてきたら
それを見せるように、あらかじめ指示を出していたのです。
司馬懿は、そんな事とは夢にも思わず、夢中になって逃げだし
追いついてきた夏侯覇(かこうは)と夏侯恵(かこうけい)に対して
「わしの首はちゃんとついておるか?」と聞いたそうです。
冷静になってから、司馬懿が情報収集をさせると孔明が死んだのは
本当である事が分り、巷では死んだ孔明が生きている仲達を走らせたと
噂になっている事を知ります。
司馬懿も軍を引き揚げますが、その途中で孔明が造り上げた、
見事な陣計をつぶさに見学しました。
司馬懿「孔明とは天下の奇才なり・・」
司馬懿は、ついに自分が最後まで孔明に及ばなかった事を知り、
心からのリスペクトを奇才という言葉に込めたのです。
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三国志ライターkawausoの独り言
死せる孔明、生ける仲達を走らすは、三国志を知らない人でも
知っているような、とてもメジャーな故事成語です。
意味は、すでに引退した人の影響力が強く残り、あたかも、
まだ現役で存在しているかのように見える状態の事です。
ただ、蜀軍が木像の孔明を使って司馬懿を錯覚させ、
退却させたというのは三国志演義のフィクションです。
一方、司馬懿が孔明を天下の奇才と評したというのは
史実にも記録が見える事実です。
現実の孔明は、戦術では常に司馬懿に及びませんでしたが、
弱小な蜀の国力から北伐軍をひねり出す、孔明の才能には、
司馬懿も一目も二目も置いていたようです。
そして、孔明の死は何よりも、蜀の人々を悲しませ、
孔明に左遷された人々でさえ、孔明の為に涙を流しました。
民衆は自発的に孔明の廟を造り、神として崇めます。
司馬懿はともかく、蜀の人々の心の支えとして
孔明は、その後何百年も影響を与え続けたのです。
死せる孔明、生ける蜀の人々の心に留まる
とでも言えばいいでしょうか・・
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