徐州の牧をしていた劉備は
曹操から逃れて来た呂布(りょふ)をかくまいますが、
留守中に城を乗っ取られてしまいます。
この際、妻子も人質に取られてしまい
結局は劉備は呂布に降伏して配下に甘んじることになります。
しかし、呂布は、劉備が兵を集めていることを知ると
再び劉備を攻めます。
劉備は敗走し、あろうことか曹操を頼っていくのです。
窮鳥の策
もとはといえば、曹操が父曹嵩の敵討ちとして徐州で大虐殺を
繰り広げたことが原因で、
陶謙の配下だった劉備は徐州の牧になったので、
曹操は宿敵も同然です。
また、その徐州の大虐殺と同時期に、曹操の本拠地を乗っ取った
呂布を、劉備は匿っていたのですから、本来は
曹操に助けてくれなんて言えた義理ではありません。
しかし、これを「窮鳥(きゅうちょう)の策」といいます。
「窮鳥、懐に入らば、猟師もこれを殺さず」です。
弱った鳥が猟師の懐に飛び込んできたら、さすがの猟師も鳥を
憐れんで殺せない、という意味になります。
劉備はあふれんばかりの「人たらし能力」をもって、この窮鳥の策を
成し遂げるのです。
呂布に敗北した劉備はまたもや妻子を人質に取られる
曹操のもとで沛城に駐屯していた劉備のもとへ、
呂布軍が攻めてきます。
曹操は夏候惇(かこうとん)を救援に送ってくれますが、
呂布軍には高順(こうじゅん)、張遼(ちょうりょう)という猛将がいてかないません。
劉備と夏候惇は敗走し、またもや劉備の妻子は捕らえられてしまいました。
妻子、無事なんですか!?
この前捕らえられた妻子と同じ人なのかどうかもわかりません。
曹操にも妻子を捕らえられてしまう
次は199年のこと、献帝から「曹操を殺せよ」と命を受けた劉備は
曹操に離反します。
劉備自身はまたもや窮鳥の策を使い、袁紹のもとへ。
関羽と一緒に置き去りにされた劉備の妻子は、曹操に捕らわれの身に……。
この妻子ですが、疑問なんです。
『三国志演義』では妻子を守って劉備のもとへ送り届けた関羽ですが
『正史』では、妻子の記述がありません。
関羽は単騎で千里を駆けて劉備のもとへ帰ります。
もしかして妻子……殺されてしまいましたか?
長坂でも妻子が……
時はさらに下り208年、
華北を統一した曹操は、荊州にいた劉備のもとへ攻め込んできます。
ここでも、敗走中に曹操軍に追いつかれた劉備は、
妻子を捕らえられてしまうのです。
このとき、趙雲が単騎で妻子を助けに斬りこんでいくという有名な
エピソードが繰り広げられるのですが、
もう、ここまで来ると妻子置き去り常習犯です。
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この記事を書いた人:東方明珠
こんにちは。とうほう めいしゅです。
中国は上海の雰囲気が好きなので、テレビ塔の「トンファンミンジュ」を名乗っています。
もともと『水滸伝』の大ファンで、『三国志』に興味を持ったのは、アーケードゲーム「三国志大戦」がきっかけです。
当時はゲームセンターに通いつめました!
まだまだ中国史について勉強中ですが、精いっぱい面白いことを探してお伝えしたいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。