諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめ)は主君である劉備(りゅうび)が亡くなった後も、
その志を継いで無謀ともいえる挑戦を続けます。
その志とはいかなるものだったのでしょうか。
それは魏を倒すことに他なりません。
大国・魏への挑戦
劉備が益州に建国した「蜀」は、漢王朝の正統な後継者を自称していました。
後漢最後の皇帝の献帝は、曹操(そうそう)の後継者である曹丕(そうひ)に譲位し、
漢王朝は魏に簒奪されていたのです。
魏を滅ぼし、漢王朝を復興することこそが、蜀という国の悲願でした。
そのために作られた国といっても過言ではありません。
諸葛亮孔明はその志を遂げるべく準備をしていくのです。
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魏との六度の戦い
準備を整えた諸葛亮孔明は西暦228年に北伐を開始します。
それはまさに漢の高祖(劉邦)の再現でした。
高祖もまた漢中から中原に進出し、項羽(こうう)を滅ぼしたからです。
諸葛亮孔明は都合六度、魏と戦っています。
第一次の北伐では部下の馬謖(ばしょく)が致命的な戦略ミスを犯して撤退します。
第二次では敵将の郝昭の守る城を落とせずに撤退。
第三次では大きな成果をあげて魏領である武都郡と陰平郡を手に入れています。
第四次は魏が攻め込んできての戦いでしたが、大雨が続き引き分け。
第五次では上邽で司馬懿(しばい)と対陣し引き分け。
第六次も五丈原で百日対峙し、引き分け。
魏を滅ぼすどころかほとんどの北伐で撤退を余儀なくされています。
なぜ天才軍師がいながら魏を倒せなかったのでしょうか。
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蜀の撤退の理由
天然の要塞ともいえる益州。魏と蜀の国境には海抜二千メートルを超える秦嶺山脈が続いています。
守りに徹すれば負けることはなかったでしょうが、
諸葛亮孔明は志のためにこの山を越えて魏領に攻め込まなければなりませんでした。
最大の問題は進軍以上に兵站です。
野戦において天才的な戦略を誇る諸葛亮孔明は、
少ない兵力であっても大軍の魏をかき回すことができますが、兵糧不足だけはどうにもできません。
撤退を余儀なくされた原因はこの兵糧不足です。
よって蜀軍は、長期戦になると必ずボロが出るのです。
早期決着をつけようと諸葛亮孔明は焦りますが、敵には忍耐の塊のような司馬懿がいました。
いいところまで戦局が進んでも結局は兵糧切れで撤退せざるをえなくなります。
蜀の国力を考えると諸葛亮孔明をもってしてもここが限界だったといえます。
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攻城戦の難しさ
また、諸葛亮孔明の意外な弱点も露見します。
野戦では才を発揮できますが、攻城戦は不慣れだったという点です。
これは第二次北伐で陳倉を攻めた際にはっきりしました。
敵将は司馬懿の息のかかった郝昭(かくしょう)というあまり名の知られていなかった男です。
諸葛亮孔明はすぐに落城できると考えていましたが、城は工夫されており、
攻城兵器も郝昭に上手く潰されてしまいます。
地下道を掘り進む作戦も見抜かれ、兵糧は二十日で尽きました。
長安からの敵の援軍を警戒し、諸葛亮孔明は撤退します。
北伐の二度の失敗で諸葛亮孔明は丞相の座を降りることになるのです。
大国を苦しめた諸葛亮孔明の知略
戦略ミスはありながらも、
少ない兵で大軍を苦しめた諸葛亮孔明の手腕は高い評価を受けて当然です。
圧倒的な国力差がありながら、
魏に攻め込むだけの準備が整えられたのもやはり諸葛亮孔明の功績でしょう。
第六次北伐で、木牛や流馬という輸送具を開発し導入しましたが、屯田にせよ、
新アイテムにせよ早い段階で兵糧問題を重要視していたら戦局は大きく変わったかもしれません。
なにせ諸葛亮孔明は負けてはいないのです。
もう少しだけ人材と兵糧があれば諸葛亮孔明は志を遂げることができたはずです。
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三国志ライター ろひもと理穂の独り言
戦上手の司馬懿が守りに徹したという事実が、
諸葛亮孔明の軍事能力の高さを物語っています。
抗いきれない国力差がありながらも奇跡を信じて前に進む諸葛亮孔明の姿には、
後世の人の心を揺さぶるものがあります。
軍事能力が高かったり、知力が高いだけでは、ここまでの人気はありません。
諸葛亮孔明にはまさに三国志の根本である建国の「志」が宿っているのです。
ぜひ魏を倒し喜ぶ姿も見たかったですね。
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