キングダム504話では、久しぶりに趙の悼襄(とうじょう)王が登場しました。以前から春平君のような美少年好きではありましたが、今回は裸の美少年達を風呂に侍らすという強烈な再登場を飾っていて、以前からの性癖は健在のようです。さて、廉頗から「バカ王」と評された悼襄王はどんな人物なのでしょうか?
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落ちて行く趙に君臨した在位8年の短命の王
悼襄王は名を偃(えん)と言い、孝成王の後を継いで紀元前244年に即位しました。趙は孝成王の時代の紀元前260年に長平の戦いで秦に大敗し次第に斜陽になります。その後を継いだ、悼襄王は、即位するや功臣の廉頗(れんぱ)を「老いぼれだから」という理由で退けようとし、後任で入った楽乗(がくじょう)と先任の廉頗(れんぱ)がトラブって戦争になり、双方が国外に脱出するという痛い結果を招いて趙の国力を減少させました。
確かに、その諡(おくりな)の通り悼(不安になる:悲しむべき)王なのです。彼の治世は、たった8年で、ほとんど国力を回復する事は出来ませんでした。そして、次の幽繆(ゆうびょう)王の時代、紀元前228年、趙は滅亡して滅びます。
有能な家臣に恵まれ、李牧、龐煖を抜擢する
バカ王と呼ばれた一方で、政治に関心が無い悼襄王は個人的に嫌いではない人物に対しては、これというこだわりがなく推薦されるままに登用しました。彼が大事にしたのは、宮廷の贅沢な生活だけであり、政治などどうでもいいのです。
まず、紀元前244年、廉頗と楽乗が抜けて弱体化した趙軍を補充する為に元々匈奴と戦っていた辺境の守備隊長だった李牧(りぼく)を抜擢していますし、紀元前242年には、曾祖父、武霊王の時代からの兵法家だった龐煖(ほうけん)を抜擢侮って攻めてきた燕の劇辛(げきしん)の2万の軍を撃破し劇辛を斬殺します。
また、紀元前241年には、龐煖を将軍として趙・楚・魏・燕の4カ国の精兵を率いて秦の蕞(さい)を攻めさせています。漫画キングダムでは李牧が中心となり楚の春申君が総大将になっていますが、結局、漫画の通り陥落させる事ができず、そのため兵を移して斉を討ち饒安(よあん)を落しています。龐煖も李牧も、漫画キングダムでは秦の強敵として登場しますから、なまじ政治に関心がない分、悼襄王は手ごわい相手なのです。
史実の悼襄王もあんな趣味なの?
美少年大好きの性癖をお持ちの悼襄王ですが、これは事実なのでしょうか?
どうやら、これも事実のようで、紀元前244年の事、秦が漫画にも登場した悼襄王のお気に入りの春平君と平都君を招いた事があります。秦の国相の呂不韋は、二人の中で春平君が悼襄王の気に入りと聞き、これを交渉材料にしようと考え長く留めようとします。
しかし、これは悼襄王に春平君が寵愛されている事を嫉妬した郎官(ろうかん)という美少年達の考えた陰謀でした。
つまり、マッパで悼襄王に奉仕していた、あの少年達の事です。カワイイ顔して、エゲツナイ事をしますねェ・・
朗君達は、春平君を秦に長く留めさせて王から引き離し、この機会に自分達が悼襄王の寵愛を得ようと共謀していたのです。ここで泄鈞(せいちん)という人物が呂不韋に、
「春平君を返さないと趙王は不機嫌になり、かえって秦と趙の関係が崩れます。ここは、平都君を留めて春平君を帰せば、趙王は上機嫌になり春平君の言い分を聞きいれて秦の利益になるでしょう」
こう進言したので呂不韋は春平君を帰しました。泄鈞の予想通り、春平君は自分の代わりに拘束された平都君の便宜を図り、悼襄王は自国の領土を割いて平都君の身柄を取り戻したのです。
キングダムウォッチャーkawausoの独り言
さて、漫画では健在の悼襄王なのですが、実は紀元前236年、王翦や楊端和、桓騎が趙に攻め込んでいるこの年に崩御しています。しかし、現在の所、あのバカ王はピンピンしていて死にそうにもありません。このような場合、キングダムでは予期せぬ暗殺などが起きるのですが、もしかしての悼襄王毒殺なんていうオチもあるかも知れません。
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次の王は、悼襄王の子の幽繆王なんですが、そこでも佞臣・郭開(かくかい)は、変わらず権勢を振い続けています。これは、もしやですが、何らかの要因で郭開の悪事が悼襄王にバレ、失脚を恐れた郭開が美少年を使って眠り薬などを王に飲ませ、そのまま風呂で溺死させる形で始末してしまうとか・・
そういうどんでん返しがあったりするかも知れませんね。
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