能ある鷹は爪を隠すといいます。
賢い人ほど、自分が賢いことを簡単にさらけ出したりせず、
いざというときに本領を発揮するということわざです。
似たような計略に韜晦(とうかい)の計というものがあります。
これは、相手に自分が取るに足りない弱い存在だと思わせるというものです。
劉備の韜晦の計
199年、呂布に本拠地を追われて曹操のもとに身を寄せた劉備は
特にやることがないために密偵を放って劉備を監視する曹操を欺くために
領地内で田畑を耕して暮らしていました。
そんなさなか、曹操と食事を共にしているときに
こんな話を持ちかけられます。
「この世に英雄が存在するならば、それは俺と君だ」
まさに曹操に反旗を翻すことを心に誓っていた劉備は、
曹操から突然そんなことを言われて、
ビックリして箸を取り落としてしまいました。
あ、アニキっ、動揺しすぎです!
せっかく田畑耕して取り繕っていたのに。
曹操は自分を裏切ったものは決して許しません。
劉備はとっさに、その時外で偶然鳴った雷にかこつけて
「雷こわーい!」
と怯えて見せます。
曹操はそれを見て、「なんだこの程度の男か」と劉備を侮ったといいます。
ただ、現代の私たちからすれば、いくら当時おごり高ぶっていたとはいえ
賢い曹操がそんな陳腐な芝居にだまされたとは考えにくいのですが。
当時はそんなに雷は恐れられてたの?
そこで少し雷について考えてみました。
当時の家屋は基本的に木造で、避雷針などがついていませんでした。
実は、落雷による火災というのが非常に頻繁に起こっていたのです。
一度火がついてしまうと、消化する間もなく、火はどんどん燃え広がり甚大な被害になります。
食糧庫が燃えたときには、もう一巻の終わりです。
それは三国時代にとどまらず、明清時代の皇城である故宮を見ても
屋根の上にずらりと並ぶ火除けの守り神などから、
非常に雷が怖れられていたことがわかります。
このようなことから、劉備が「雷こわい!」と叫んだのを、
曹操があっさりと受け入れたのかもしれません。
司馬懿の韜晦の計
司馬懿(しばい)は『三国志演義』後半、孔明のライバルとして登場する
魏の武将です。
司馬懿は首だけをぐるりと180回転させて真後ろを見ることができたため
「狼顧(ろうこ)の相」と言われました。
……そういえば劉備さんも似たようなスゴイ身体的特徴を持っていましたよね。
さて時は下り239年、魏では曹芳が即位することになりました。
この時期から、司馬懿は謀叛を疑われはじめたため、
ぼけ老人になった演技をするようになります。
口からよだれを流しながら侍女に両脇を支えられて歩いたり、
身だしなみもボロボロ、
お粥を食べようとしてもだらだらと胸にこぼしてしまう……など。
このありさまを見て曹家の人たちは
「司馬懿も衰えたな」と思ってすっかり油断してしまいました。
しかし249年、司馬懿はついに曹家に対してクーデターを起こします。
司馬懿は対立勢力を皆殺しにし、丞相の地位を手に入れ、
実権を完全に手に入れるのです。
73歳で天命を迎えるそのときまで、司馬懿自身は皇帝の座に就くことは
ありませんでしたが、孫にあたる司馬炎(しばえん)によって
魏は滅ぼされることになります。
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この記事を書いた人:東方明珠
こんにちは。とうほう めいしゅです。
中国は上海の雰囲気が好きなので、テレビ塔の「トンファンミンジュ」を名乗っています。
もともと『水滸伝』の大ファンで、『三国志』に興味を持ったのは、アーケードゲーム「三国志大戦」がきっかけです。
当時はゲームセンターに通いつめました!
まだまだ中国史について勉強中ですが、精いっぱい面白いことを探してお伝えしたいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。