三国を滅ぼして天下統一を行った晋の司馬炎(しばえん)。
彼は三国最後の国家である孫呉討伐を行う前に魏の皇帝から禅譲(ぜんじょう)を受けて、
皇帝となり「晋」帝国を樹立させます。
その後孫呉を滅ぼして天下統一するのですが、彼には一つの悩みがありました。
それは晋の皇太子問題です。
彼の息子には司馬衷(しばちゅう)と言う長男がおりましたが、
この長男がそれなりに優秀であれば何も問題なく彼を後継者にすればいいのですが、
彼がかなりポンコツであったせいで、後継者問題が発生してしまいます。
名士出身である羊祜(ようこ)は司馬衷がポンコツであったため、
司馬炎の弟で司馬懿からも期待されていた司馬攸(しばゆう)を司馬炎の後継者に推してきます。
そのため司馬炎(司馬衷を後継者派)VS名士・貴族達(司馬攸後継者派)の
隠れた戦いが勃発することになるのです。
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優秀な弟である司馬攸推しの羊祜
羊祜は司馬衷がポンコツであることを知ると司馬炎の弟である司馬攸を後継者にするべしと
司馬炎の後継者として幾度も司馬炎に進言します。
なぜ羊祜はこれほど司馬攸を推してくるのでしょうか。
それは彼が司馬攸と密接な関係であったことが起因となっております。
羊祜の姉さまは司馬師(しばし)の奥さんであり、
司馬師の家を継いだ司馬攸は羊祜にとって舅に当たりあます。
また司馬攸は司馬懿に目をかけられるほどの人物であったこともあり、
ポンコツ司馬衷とは比較にならないほど優秀で、
次世代の晋帝国に君臨する人物としてこれほど適当な人材はいないと判断したため、
彼は司馬攸を推し続けます。
しかし羊祜は孫呉と晋の国境である荊州(けいしゅう)へ赴任させられてしまい、
この件は一度流れてしまいます。
荊州で孫呉討伐の準備を行いながら後継者に跡を託す
羊祜は荊州に赴任すると田畑を開墾し、
民衆に優しい統治を実現したことによって一気に荊州の国力は増大することになります。
羊祜赴任前は荊州の襄陽(じょうよう)には殆ど兵糧もなく田畑や人心も荒れ果ておりましたが、
彼の赴任後一気に兵糧は10年篭城しても大丈夫になり、人心も統治がしっかりしたことによって、
民衆達も安心して商業や農業に勤しんでいくことになります。
こうして着実に軍事力を増大させていった羊祜ですが、病には勝てずに亡くなってしまいます。
そして自らの後継者に杜預(どよ)を推挙します。
武器庫・杜預の策略
羊祜の後継者として赴任してきた杜預は、
彼の意思を継いで自らも司馬炎の後継者に司馬攸とするべく色々と考えておりました。
杜預は博学多識で彼のあだ名は武器庫のように色々な物が揃っていることから「杜武庫(とぶこ)」と呼ばれておりました。
そんな彼が考えついた作戦は孫呉討伐軍の総司令官を司馬攸にすることで、
彼の名声を上げさせてやることで後継者としての地位を手に入れることができないかと考えます。
司馬攸が孫呉討伐戦で武功を上げて孫呉を滅亡させれば彼の名声は全土に轟くことになり、
後継者として司馬攸が有利になる事は確実であると考えます。
そのための作戦を杜預はずっと考えておりました。
そしてついに彼は司馬攸を後継者として確実な地位を得ることの計画を立案。
しかし杜預の作戦通りに進むことはありませんでした。
三国志ライター黒田レンの独り言
司馬炎の後継者問題はこうして孫呉討伐戦にまで影響することになります。
この問題が解決しなければ孫呉討伐戦が開始できない状況にまでなってしまい、
晋の後継者問題が長引いていけばいくほど天下統一が遠くなってしまうのです。
そして司馬炎、賈充、杜預の三者による晋の後継者問題はどのような決着がつくのでしょうか。
次回:【司馬家の後継者問題】司馬炎VS賈充VS杜預でお送りしたいと思います。
参考文献 SB新書 三国志「その後」の真実 渡邉義浩・仙石知子著など
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