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趙儼(ちょうげん)とはどんな人?三国志時代の調整力を備えた魏の文官

2017年9月30日


 

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突然ですが組織において地味だけど必ず必要になる能力とは一体何だと思いますか。レンが考えるに組織を運営する際、地味だけど必要な能力とは各部署や他の部署に所属する人達をうまく使う調整力だと考えます。優秀な人材でもいがみ合う人が、居ればなかなか思うように力を発揮することは難しいと思います。そんな時に必要なのが調整力だと思います。

 

 

今回はこの調整力を持った魏の武将・趙儼(ちょうげん)の調整力をご紹介したいと思います。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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趙儼の調整力その1:于禁・楽進・張遼の三武将をしっかりと統率

 

趙儼は官渡の戦いに決着がつき河北統一が曹操によって完了すると、中央で仕事を行うことになります。当時荊州北部近辺には于禁(うきん)楽進(がくしん)・張遼の三部隊が駐屯。しかし三将軍はいがみ合って「こんな奴らと協力できるか」と各々述べていたそうです。そこで曹操は趙儼へ「荊州北部近辺に駐屯している于禁楽進・張遼の三部隊を統率してきてくれないか。」と命令を受けます。趙儼は曹操の命令を受けて三部隊を統率することになり、彼らの元を行ったり来たりして協調性とはなんぞという事を叩き込んだそうです。その結果、彼ら三部隊は協力して戦う事ができるようになったそうです。その後曹操は大軍を率いて南下。この際趙儼に于禁・張遼張郃(ちょうこう)李典(りてん)朱霊(しゅれい)などの七軍の統率者として起用されることになります。

 

趙儼の調整力その2:樊城の救援に逸る諸将をしっかりと掌握

 

趙儼はその後涼州(りょうしゅう)で活躍し度々功績を挙げていきます。荊州の関羽が大軍を率いて、曹魏の領土である荊州北部の重要拠点・樊城(はんじょう)へ攻撃を開始。趙儼は徐晃(じょこう)と共に樊城救援に向かうことになります。徐晃は諸将と一緒に樊城近辺に駐屯しますが、関羽率いる大軍には自らが率いている兵力では足りないことを悟ります。しかし諸将達は徐晃へ「このままこの地にいれば樊城が陥落してしまう。すぐに救援に向かうべし」と関羽軍に攻撃を仕掛けるように迫ります。すると調整役のプロ・趙儼は諸将へ「関羽軍の軍勢は多く、我が軍は少数であり、樊城の軍勢としっかりと力を合わせて行動を起こさなければ、関羽を撃退することは難しいであろう。しかし樊城は完全に包囲されている状態で情報を中に伝えるのは難しいのが現状だ。そこで現状最善の策として我が軍が取るべき行動は樊城へ情報を伝えることである。樊城に我が軍が到来したことと殿下の軍勢がすぐ近くに迫っていることを教えてやれば、樊城守備軍は士気を高めることになるだろう。また殿下の軍勢は私の計算によると数十日後にはこちらに到着するはずだ。そのことも一緒に樊城へ通達して殿下の軍勢が到着した後、樊城と我が軍らで関羽軍を挟み撃ちにすれば、必ず関羽軍を撃退することができよう。そのため諸将には血気に逸って敵軍へ攻撃を仕掛けるのではなく、樊城へ情報を伝える方法を考えて欲しい」と逸る諸将達へしっかりと説明して突出した行動をとらないように注意を促します。この趙儼の言葉を尽くした説明を受けた諸将は大いに頷くと樊城へ矢文を送って情報を伝え、城外の現状をしっかりと伝達。その後曹操軍の本隊が到着すると樊城守備軍と徐晃率いる樊城救援軍が協力して、関羽軍を撃退することに成功するのです。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

 

調整力の天才と言っても決して過言ではない趙儼をご紹介しました。彼がいたおかげでいがみ合っていた諸将をしっかりとまとめることができ、とてつもない力を発揮することができたのではないのでしょうか。曹丕・曹叡時代にも彼は活躍し、魏国において彼の調整力は重宝されることになるのです。

 

参考文献 ちくま文芸文庫 正史三國志魏書4 今鷹真・井波律子著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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