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赤壁の戦い後の江陵攻防戦(曹仁VS周瑜)

2015年5月23日


孫権 劉備 対立

 

赤壁の戦い後、孫権も劉備も、この機に乗じて領土の拡大を狙います。

 

孫権軍はまず、北上しました。

 

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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合肥と九江は曹操の勝利

曹仁 三国志 ゆるキャラ

 

208年12月、

赤壁の戦い後、曹操が撤退するやいなや

孫権(そんけん)は勢いそのままに合肥(がっぴ)と九江(きゅうこう)に

攻め込みます。

 

しかし、曹操軍の抵抗が激しかったため、

4か月の抗争ののち、孫権軍は撤退を余儀なくされます。

 

赤壁で大敗したとはいえ、曹操軍の防衛線がすべて崩れるわけでは

なかったのです。

 

 

 

周瑜は江陵で苦戦

周瑜 死

 

一方、周瑜(しゅうゆ)は江陵に攻め込みました。

江陵は荊州の物資集積地であり、重要拠点でした。

 

江陵の守備に立っていたのは、

曹操軍の名将、曹仁(そうじん)でした。

周瑜は苦戦します。

 

曹仁配下の牛金(ぎゅうきん)が、わずか数百人の兵を率いて

周瑜と対峙します。

周瑜はこれを包囲し、牛金を捕らえました。

 

戦いは周瑜に軍配が上がったかと思ったとき、

曹仁がたった数十人で出撃してきます。

なんと曹仁は、6000騎もの周瑜軍の中から、牛金を助け出すことに

成功します。

 

曹仁の活躍を見て、兵士たちは

「あの人、ホントは天人だべ」と口々に讃えました。

 

 

周瑜は、曹操の置き土産に倒れる

現実主義曹操

周瑜軍に、曹仁軍が撤退しているという情報が流れました。

見ると、曹仁は三方向の門から逃げ出そうとしています。

 

周瑜は出陣しました。

韓当(かんとう)、周泰(しゅうたい)らに命じて曹仁軍を追い立て、

西北に追い詰めます。

 

周瑜は、城門が開かれ、空になった城をおさえようと

自ら城へ乗り込みます。

 

しかしこのとき、両側から雨のように矢が射かけられました。

さらに周到に落とし穴も掘られていて、

先陣の兵たちは落とし穴に落ち、

周瑜も脇腹に矢傷を負ってしまいます。

 

実はこれは、曹操の残した策略でした。

「孟徳、置き土産をありがとう!」by曹仁

 

周瑜は牛金に捕らわれそうになりますが、なんとか脱出。

周瑜軍は、負けてしまいます。

 

 

「周瑜が死んだ」

周瑜逝く

周瑜も負けてはいられません。

今度は、曹仁軍に、「周瑜が死んだ」という偽の情報を流します。

 

曹仁は、今がチャンスと、攻撃に出ます。

しかしこれは、周瑜の策略でした。

重症の周瑜は自ら指揮を執り、

曹仁軍を散々に打ち負かしました。

 

一年にわたる激闘の末、周瑜はついに江陵を手に入れます。

しかし、周瑜はこの戦いで受けた矢傷がもとで

病の床につき、まもなく亡くなってしまいます。

 

 

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この記事を書いた人:東方明珠(とうほうめいしゅ)

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はじめての三国志

通称「はじさん」のはじっこライター東方明珠です。

普段は恋愛系のノベルやシナリオを書いています。

中国の歴史が大好きで、

ハンドルネームにも上海のテレビ塔の名称を拝借しています。

行き当たりばったりで中国の遺跡を巡る旅をしていましたが、

次は無錫市にある三国志のテーマパーク「三国城」に行きたいです。

 

■好きなこと(趣味):

本屋さんをはしごすること

 

■好きな三国志の人物:

孫策と周瑜

 

■幸せを感じる瞬間

自分の書いた文章に素敵なイラストを描いてもらったとき

 

■出没場所

動物園

 

この記事のデザインを担当した人:よりぶりん

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三国志初心者の新米イラストレーターでございます。

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「すいません」 とにかく謝ったら勝ちと思っている腰ぬけです

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■幸せを感じる瞬間:
麻雀の牌を触っている時!お風呂に入った時!

■尊敬する人:
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■どうしてもこれだけは譲れないもの:
コーヒーが飲めない環境!コーヒーが無いと凶暴になります。

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よりぶりんでした。

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中国は上海の雰囲気が好きなので、テレビ塔の「トンファンミンジュ」を名乗っています。もともと『水滸伝』の大ファンで、『三国志』に興味を持ったのは、アーケードゲーム「三国志大戦」がきっかけです。当時はゲームセンターに通いつめました!まだまだ中国史について勉強中ですが、精いっぱい面白いことを探してお伝えしたいと思っています。

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