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【徐庶ママ酷すぎ】息子の評価が軽くグレるレベル

2018年3月18日


 

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徐庶

 

三国志演義(さんごくしえんぎ)で、劉備(りゅうび)が初めて迎えた軍師(ぐんし)徐庶(じょしょ)

 

人質にされる徐庶の母親

 

 

劉備の敵役の曹操(そうそう)は、劉備が力を増すことを恐れ、徐庶の母を招き寄せて人質のようにして、徐庶を劉備から引き離しました。この時、徐庶の母は、徐庶が主君への忠義を犠牲にして親孝行を優先したことに怒り自害しています。その怒った際のせりふがあまりにもひどすぎて、三国志演義よ、ここもうちょっとなんとかならんかったんかい、と思ってしまうのは私だけでしょうか。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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徐庶が主君・劉備のもとを去った経緯

剣を持って戦う徐庶

 

劉備がまだ軍師を抱えていなかったころ、徐庶は街をぶらぶらしながら物欲しげに「山谷に賢ありて明主に投ぜんと欲す 明主は賢を求むれども(かえ)って吾を知らず」と歌って歩き、劉備をひっかけて軍師におさまりました。仕えてからは献策(けんさく)がすいすい聞き入れられ、充実した軍師ライフを送っていました。

 

徐庶が欲しくてたまらない劉備

 

時に、劉備が突然戦上手になったことを不審に思った曹操は、劉備が徐庶という軍師を得たことを知り、徐庶を劉備から引き離すために、徐庶の母を招き、立派な息子さんが逆臣の劉備に仕えているのは残念だから息子さんに手紙を書いてこちらへお呼びなさいと言いましたが、徐庶の母は拒否しました。

 

 

そこで曹操のブレーンの一人程昱(ていいくが徐庶の母の筆跡をまねて“あんたが来てくれないと殺される”という内容の偽手紙を書き、徐庶に送りました。偽手紙の内容を鵜呑(うの)みにした徐庶は、母が人質になってしまい劉備のために働くことができなくなったと言い、劉備のもとを去りました。

 

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徐庶の母が自害した経緯

 

徐庶の母は曹操の要求を拒否して以降、偽手紙のことなど知るよしもなく、程昱のおもてなしを受けながら快適に過ごしていました。そこへ、偽手紙を読んだ徐庶が慌てふためいてやって来たからびっくり。「あんた、なんだってこんなところへやって来たのさ?」

 

「新野で劉豫州(りゅう:よしゅう)(劉備のこと)に仕えていたけど、ママの手紙を見て大急ぎでこっちへ来たんだよ」手紙を書いた覚えなんてないママ。息子が偽手紙に騙されて主君を捨てて来たと知り、忠義を捨てて親孝行をとるなんてこのおバカ! と激怒して、首をくくって亡くなってしまいました。

 

北伐の真実に迫る

北伐  

 

一見、烈女っぽい徐庶の母

 

自分がいるために息子に誤った選択をさせてしまったと考え、息子の人生の邪魔にならないように自害したということであれば、烈女(れつじょ)っぽいですよね。同じく三国志演義に出てくる姜叙(きょうじょ)の母は、姜叙に馬超(ばちょう)を討つ決心をさせるために、決心がつかないのならまず自分が死んで何の心配事もなく行動に出られるようにしてやろうと言って息子にはっぱをかけています。

 

徐庶の母もこれと同じかな、と一瞬思ったのですが、徐庶ママのせりふをよくよく読んでみると、どうも姜叙ママのような未来志向の話ではないようです。

 

 

徐庶の母は息子を酷評

 

徐庶の母が自害する前のセリフを見てみましょう。

 

あんたは二十年以上も世間を渡り歩いて、日ごとに見識も高まっているだろうと

思っていたのに、最初よりも悪くなっているとは思いもよらなかったよ。

小さい頃から勉強をしてきて、主君への忠義と親への孝行は両立できない

ということぐらい分っているでしょうに。

曹操は主君を欺く賊だというくらい分るでしょう。

劉玄徳(りゅうげんとく)(劉備のこと)は世の中にあまねく仁義をしき誰もが(あお)ぎ見るお方で、

漢の王室の末裔(まつえい)でもあり、私はあんたがいいご主君に仕えたと思っていたんだよ。

ところが一通の偽手紙で、真偽(しんぎ)を確かめもせずに、明主(めいしゅ)を捨てて暗主(あんしゅ)のところへ

来て悪名を(こうむ)るなんて。ほんとうにしょうもない。顔を見るのも恥ずかしい。

ご先祖様に申し訳がないわ。生きてる甲斐もない。

 

これは、未来志向の叱り方ではありませんね……。徐庶の取り返しの付かないしくじりをひたすらののしっているだけです。

 

こんなことを言われた挙げ句に死なれてしまったら、徐庶は、偽手紙の見分けもつかず、忠義より親孝行を優先して、明主を捨てて暗主についた愚か者であり、その愚かさゆえに親まで死なせてしまい忠義も孝行もいずれも全うできなくなったどうしようもない人として取り残されてしまいます。この叱り方はひどすぎる……。

 

もっと未来につながる叱り方をしてあげればよかったのに。これでは徐庶の母も烈女ではなく、ご先祖様に申し訳ないだけの人で終わってしまいます。なんでこんなひどいことに。三国志演義よ、ここもうちょっとなんとかならんかったんかい。

 

 

三国志演義のねらい

 

三国志演義、フルネームは「三国志通俗演義(さんごくしつうぞくえんぎ)」。この題名は、俗人にでも「義」が分るように三国志のお話に託して説いてあげるよ、という意味です。「義」を説くという目的からすれば、徐庶の母のせりふはパーフェクトです。彼女のせりふと自害の顛末(てんまつ)から、次のような「義」の教訓が浮かび上がってくるからです。

 

《忠義は大事なんやで。親孝行を優先して忠義をないがしろにしたら、徐庶みたいに親孝行も全うできんことになるんやで。一心に忠義を尽くすことは結局親孝行にもつながるんや》

 

これ、三国志演義が小説としてまとまった時代の、中央集権体制に迎合する「義」の考え方そのものです。三国志演義は、「義」を通俗的に教えたいために、物語の中の徐庶親子の名誉を踏みにじったんですよ。血も涙もないやっちゃ。

 

 

三国志ライター よかミカンの独り言

 

息子を忠義も孝行も全うできないどうしようもない人として取り残し、自らはご先祖様に申し訳ないだけの人として終わってしまうなんて、不自然です。もっと上手に盛り上げて、徐庶の母を烈女にしてあげてもよかったのに。三国志演義のこの部分に関しては、ヘタクソだなぁと思います。

 

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よかミカン

よかミカン

三国志好きが高じて会社を辞めて中国に留学したことのある夢見がちな成人です。 個人のサイトで三国志のおバカ小説を書いております。 三国志小説『ショッケンひにほゆ』 【劉備も関羽も張飛も出てこない! 三国志 蜀の北伐最前線おバカ日記】 何か一言: 皆様にたくさん三国志を読んで頂きたいという思いから わざとうさんくさい記事ばかりを書いています。 妄想は妄想、偏見は偏見、とはっきり分かるように書くことが私の良心です。 読んで下さった方が こんなわけないだろうと思ってつい三国志を読み返してしまうような記事を書きたいです!

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