13人の妻を大切にした曹操には、
妻の数に見合うだけの、たくさんの子供たちがいました。
32人の子宝に恵まれたといいますが、
今回はその中でも、25人の息子たちに照準を当ててご紹介したいと思います。
曹昂(そうこう)
・生没年:?~197年
・母:劉夫人
・字(あざな):子修(ししゅう)
・身分:豊愍王
197年の宛城(えんじょう)の戦いの際、
曹操が敵方の張清(ちょうせい)の未亡人鄒氏(すうし)に惚れてしまい
恋にうつつを抜かしていたところ、張繍(ちょうしゅう)に夜襲されました。
その際、父曹操を逃がすために、曹昂は馬を譲り、
自らは盾となって命を落としてしまいます。
曹鑠(そうしゃく)
・生没年:?~?
・母:劉夫人
・字:?
・身分:相殤王
曹昂と共に、丁夫人に養育されましたが、病気のために若死にしました。
曹丕(そうひ)
・生没年:187年~226年
・母:卞皇后
・字:子桓(しかん)
・身分:初代魏皇帝(文帝)
曹操の三男ですが、長男・次男の死により、後継者となりました。
曹操の死後、後漢の献帝から皇帝位を奪い、魏の初代皇帝となりました。
「年八歳にしてよく文をつづり、逸才あり」と謳われる文才を持っていましたが、
性格は常に懐疑的で、同母弟たちまでも冷遇しました。
曹彰(そうしょう)
・生没年:?~223年
・母:卞皇后
・字:子文(しぶん)
・身分:任城威王
幼いころから武勇に優れ、弓の腕前はぴか一、腕力も人一倍ありました。
父曹操から「黄鬚(こうしゅ)」とあだ名で呼ばれました。
黄鬚とは、虎のヒゲ。虎のように強いという意味合いでしょう。
父から「書物を読め」と言われても、「俺、将軍になるんで」と断ったそうです。
異民族の烏丸(うがん)討伐に手柄を立てますが、
223年に曹丕の命令で洛陽に参上した際に急死します。
曹植(そうしょく)
・生没年:192年~232年
・母:卞皇后
・字:子建(しけん)
・身分:陳思王
非常に稀有な文才を持ち、巧みな詩文を作ったために、
父曹操からその才能をたいへん愛されます。建安文学の代表者です。
同腹の兄の曹丕はこれを憎み、
「七歩歩く間に兄弟の詩を作れ。できなきゃ殺す」と言います。
曹植は「豆殻で豆を煮る」という兄弟が殺し合う歌を作り、
曹丕を感嘆させ、このときは難を逃れますが、
結局左遷されて、失意のまま死亡します。
曹熊(そうゆう)
・生没年:?~?
・母:卞皇后
・字:?
・身分:蕭懐王
病弱だったため、父曹操が亡くなった時、葬儀に参列できませんでした。
同腹の兄、曹丕からこのことを責められて自殺しました。
その2に続きます。
この記事を書いた人:東方明珠(とうほうめいしゅ)
■HN:
東方明珠(とうほうめいしゅ)
■自己紹介:
通称「はじさん」のはじっこライター東方明珠です。
普段は恋愛系のノベルやシナリオを書いています。
中国の歴史が大好きで、
ハンドルネームにも上海のテレビ塔の名称を拝借しています。
行き当たりばったりで中国の遺跡を巡る旅をしていましたが、
次は無錫市にある三国志のテーマパーク「三国城」に行きたいです。
■好きなこと(趣味):
本屋さんをはしごすること
■好きな三国志の人物:
孫策と周瑜
■幸せを感じる瞬間
自分の書いた文章に素敵なイラストを描いてもらったとき
■出没場所
動物園
この記事のデザインを担当した人:よりぶりん
■HN:
よりぶりん
■自己紹介:
イラスト担当のよりぶりんです、ご存じの方もそうでない方も名前だけでも覚えて帰って下さいね。
三国志初心者の新米イラストレーターでございます。
なにとぞ温かい目で見てやってください。宜しくお願い致します
■口癖:
「すいません」 とにかく謝ったら勝ちと思っている腰ぬけです
■集めている物:
漫画本「ワンピース・龍狼伝・浦安鉄筋家族」etc
■幸せを感じる瞬間:
麻雀の牌を触っている時!お風呂に入った時!
■尊敬する人:
麻雀を日本に伝えた人(誰かわからないですが・・・)
■どうしてもこれだけは譲れないもの:
コーヒーが飲めない環境!コーヒーが無いと凶暴になります。
■何か一言:
イラストのリクエスト御座いましたらお気軽どうぞ!
メッセージサイトに頂ければ全力で落書きさせて頂きます(笑)
よりぶりんでした。