賈詡は魏(220年~265年)の政治家・軍師です。智謀に長けた人物として知られており、マンガやゲームでは必ず強敵キャラクターの1人にされています。
それでは正史の賈詡は、どのような功績を残したのでしょうか?
今回は正史『三国志』をもとに賈詡の功績について解説します。
※記事中のセリフは現代の人に分かりやすく翻訳しています。
「賈詡 功績」
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呂布・王允ペアを破る賈詡
賈詡は最初、董卓の娘婿の牛輔に仕えていました。
しかし、初平3年(192年)に董卓は王允と呂布により殺されてました。牛輔も逃げようとしたところを部下により殺害。
董卓の残党の李傕は諦めて故郷の涼州に戻る決意をします。だが、ここで賈詡は「ちょっと待ってください!」とストップをかけます。
「聞くところによると、長安では涼州人を殺しているようです。それなのにあなた達は軍を解散して単独で故郷に帰ろうとしている。これでは下っ端役人でも簡単にあなた達を捕縛出来ます」賈詡は軍を引き連れて西へ向かい、行く先々で徴兵し、その後長安へ戻って攻撃することを提案します。
言われたみればその通りと思った李傕たちは早速、実行しました。結果は賈詡の予測通りの展開になり王允を討って、呂布を長安から追い出すことに成功!李傕はこの時の功績で賈詡に恩賞を渡すことにしますが、賈詡はあっさりと断ります。
「あれは命を救うための計略です。どこに功績があるのですか?」
賈詡は自分の命が助かれば、李傕たちなんてどうだって良かったのです。おそらく、李傕が仕えるに値しない人物と最初から分かっていたのかもしれません。
その後も李傕は賈詡に恩賞を渡そうとしますが賈詡は辞退したり、下の位を受けたりする程度だったので次第に李傕は賈詡の存在が邪魔になっていきました。賈詡もやがて、李傕のもとから同郷の段煨のもとに身を寄せます。
曹操への降伏を促した賈詡
ところが段煨は猜疑心の強い人物であり、やはり賈詡の能力を使いきれる人物ではありません。再び出て行った賈詡は南陽の張繍と手を結びます。張繍は董卓の残党である張済の甥です。
張繍は参謀がいなかったので、賈詡に対して丁寧に接して迎え入れます。賈詡は張繍に荊州の劉表との同盟を提案します。張繍は言われた通りに実行しました。張繍は素直な性格だったので賈詡が今まで仕えた他の君主とは違っていました。
建安2年(197年)に張繍は曹操に攻められて降伏しました。しかし、曹操は張繍の義理のおばを妾にする、挙句の果てに張繍の暗殺まで計画することが耳に入ったので張繍は激怒!
賈詡と計画を練った張繍は曹操の陣を奇襲します。
この戦で曹操の息子の曹昴と甥の曹安民、さらに部下の典韋が戦死しました。建安3年(198年)も曹操と張繍は戦いますが、かつて同盟を締結した劉表が張繍の援軍に来てくれたので曹操は惨敗して撤退となります。
たびたび曹操を苦しめた賈詡と張繍のペアでしたが、とうとう終焉を迎えます。建安4年(199年)に張繍は袁紹から降伏勧告を受けました。この時期の袁紹は公孫瓚を打ち破って強大な勢力となっており、張繍が手を結ぶのは自然の道理です。
だが、ここで賈詡は袁紹ではなく曹操に降伏することを勧めます。
その理由について張繍が聞くと賈詡は(1)献帝を後ろ盾にしていること、(2)弱い軍が強い軍に移籍しても優遇の保証は無い、ただし曹操軍は袁紹軍に比べると弱いから優遇の保証あり、(3)曹操は昔の怨恨は、あっさりと忘れるタイプであること
以上、3つの利点を挙げました。納得した張繍はすぐに袁紹の使者に断りを入れると、曹操に降伏しました。
曹操は降伏した時に張繍よりも、賈詡が来たことを喜んで「私に天下の人々の信頼と尊重を与えてくれる者は君だ」と手を握りました。
最後のお仕事 曹丕を後継者に
曹操に仕えてから、賈詡は私的な交流や下手な進言も若い時に比べて少なくなりました。これは他人からの疑いを避けるためでした。
そんなある日のこと、賈詡は皇太子の曹丕から今の地位を固めるにはどうすればよいのか相談を受けます。曹丕は弟の曹植との間で後継者争いをしており、部下の間でも意見が分かれていました。
賈詡は「曹丕様は謙虚な態度を示して、子としての道を踏み外されないようにしてください」とアドバイスします。
現代風に言えば、「社会人としての一般常識を身につけてください」と意訳すればよいと思います。曹丕は納得して賈詡から言われた通りの模範的な行動を始めました。
またしばらくすると、賈詡は曹操からも曹丕と曹植のどちらが後継者が相応しいか尋ねられます。これに対して賈詡は何も答えませんでした。どうして答えないのか曹操が聞いてみると賈詡は「袁紹と劉表のことを考えていました」と返答。
袁紹と劉表は存命中に末っ子を可愛がった上に、はっきりと後継者を立てなかったので部下が内部分裂を起こして、家が取り潰しとなる最期を迎えています。それを思い出した曹操は、すぐに曹丕を後継者にすることに決めました。
『魏略』という書物によると、上述の話を聞いた曹丕は皇帝になると賈詡に莫大なお礼をして太尉に任命しました。賈詡は黄初4年(223年)に77歳の長寿を全うすることが出来ました。
三国志ライター 晃の独り言
以上が賈詡の功績でした。筆者は『三国志』の中で好きなキャラクターは誰かと聞かれたら賈詡と答えています。やっぱり賈詡の生き方は、カッコいいです。
今は「真・三国無双」シリーズにも登場しており知名度も上がったキャラクターなのですが、筆者が中学時代は知名度が皆無に等しく「誰、その人?」と返答されることもありました。あの頃は悲しかったです・・・・・・
横山光輝氏の『三国志』で賈詡が袁紹から降伏勧告の手紙を受け取った時に、賈詡は使者の前で手紙を引き裂きます。そのシーンは印象に残っており横山先生の筆遣いの本気が伝わりました。
今でも読み返すと、「やっぱり迫力のあるシーンだ」と感じます。
※はじめての三国志では、コメント欄を解放しています。
賈詡が好き、または自分は横山光輝『三国志』で印象に残ったシーンは、こんなものがあるという人は、どんどん送ってください。
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