三国志は実際に昔あった話でもあり、作り話でもあります。
それは史実にもとづいた『正史三国志』とそれに脚色を加えた『三国志演義』という本があるから。「三国志」という場合、まずは『三国志演義』の話だと思って大丈夫です。
ドラマティックな『三国志演義』のあらすじを紹介しましょう。
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腐敗した漢王朝
長期にわたって中国を統治していた漢王朝は、張譲を中心とした10人の宦官(去勢された官吏)、「十常侍」たちに権力を握られていました。
賄賂や不正が横行し、民衆は飢えや伝染病に苦しむ状態となっていました。
黄巾の乱
そんな中、漢王朝の没落ぶりに心を痛めていた張角は、妖術を身につけ、多くの人の病を治し、風や雨を呼ぶことができるようになります。
張角は大賢良師と名乗って太平道という新興宗教を創設。彼は漢王朝に反乱を起こします。
太平道の人間は頭に黄色い頭巾を被るようにしたことから、「黄巾の乱」と言われています。
張譲たちは、全国に勅令を出し、黄巾党の討伐を命じます。
黄巾討伐軍
官軍は皇甫嵩や朱儁や盧植などが活躍し、官軍は少しずつ拠点を取り返します。官軍には、若き官僚の曹操や義勇軍として参加の劉備、孫権の父の孫堅も参加していました。
彼らの功績や張角の病死によって、反乱は鎮圧されます。しかし、漢王朝がすでに力を失っていることを露呈してしまった出来事となりました。
朝廷の混乱
黄巾の乱が鎮圧されて数年後に、霊帝が崩御します。しかし、霊帝の崩御によって朝廷に紛争が勃発。霊帝の皇后である何氏が、息子を少帝として即位させます。
何氏の兄である何進は十常侍の排除をもくろみますが、逆に返り討ちに。
それに対して袁紹が宮廷に兵を入れて十常侍を殺害。
続いて董卓が大軍を率いて上洛し、少帝と陳留王を保護。董卓が実権を握ることになります。
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