趙雲は蜀(221年~263年)の将軍であり、蜀の中でもトップクラスの五虎大将軍の1人です。彼は正史『三国志』では事績が少ないですが、小説『三国志演義』では、とにかく出番が多いです。どんな活躍が描かれているのでしょうか?
今回は小説『三国志演義』をもとに趙雲の活躍について解説します。
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文醜との一騎打ち
初平2年(191年)に袁紹は韓馥から冀州を奪います。損害も出さずに冀州を奪えて安心していた袁紹でしたが、ある日、公孫瓚の弟(正史は従弟)である公孫越が来ました。
「一緒に冀州をとろうと言ったのに、あの約束はどうなったのですか?」
心中で面倒くさいと思った袁紹でした。もちろん約束は最初から守るはずありません。とりあえず公孫越にたっぷりと酒を飲ませて帰らせると、夜道で殺害してしまいます。
弟が殺されたことを知った公孫瓚は怒り心頭ですぐに出兵しました。迎え撃ったのは袁紹軍ナンバーワンの豪傑である文醜。文醜の前に公孫瓚軍の兵士は次々と討たれていきます。このままでは自分も討たれると思った公孫瓚はすぐに逃走開始。
「待て」と文醜は追撃。公孫瓚は絶体絶命でした。だがその時、槍を持った若い男がいきなり割って入ってきました。
「誰だ貴様は?」と文醜が尋ねるも、男は何も言わずに文醜に向けて槍の一突き。文醜が持っていた戟は吹き飛ばされました。
「勝負は後日・・・・・・」と捨て台詞を吐いて文醜はその場から姿を消します。さて、助かった公孫瓚は男に礼を述べて名前を尋ねます。
「私の名は趙雲、字(あざな)は子龍。元・袁紹配下です。主となる人物を探して袁紹にたどり着いたのですが、彼の人柄を見たら仕える気も失せました。」
それを聞いた公孫瓚はよければ自分の配下にならないか、とスカウトします。ところが趙雲は「あなたなら、まだマシのようですね」と笑うだけでした。その後、趙雲は公孫瓚の客将である劉備と知り合い、こっそりと主従関係を結びます。
劉備 孫権の妹と結婚
建安14年(209年)に劉備は孫権に無断で兵を動かして零陵・桂陽・武陵・長沙の領地を奪取しました。しかし間もなくして荊州の前の長官である劉表の息子の劉琦がこの世を去りました。孫権は待ってましたとばかりに、荊州領土問題の話を始めます。だが思った以上に進展しません。
そこで周瑜は孫権の妹を劉備に差し出すことを提案します。ただし、結婚式は呉(222年~280年)で行うのです。周瑜は劉備を呉で捕縛することを提案します。グッド・アイディアと思った孫権は、早速劉備に話を持ちかけました。だが、孫権の妹は18歳、劉備は49歳・・・・・・親子ほど年齢が離れていますので、どう考えても不釣り合い。
どうせ罠だと分かっていた諸葛亮は、劉備のボディーガードとして趙雲を同行させます。諸葛亮は趙雲に巾着袋を渡して、ピンチの時に開けることを伝えます。
さて、周瑜と孫権の作戦は思わぬ形で失敗に終わりました。劉備と面会した呉国太(孫権の母)と喬国老(大喬・小喬の父)が劉備を気に入ってしまいます。それどころか、劉備は仁徳パワーで孫権の妹のハートを射抜きました。
孫権と周瑜は赤っ恥の上に、呉国太から滅茶苦茶怒られます。怒られっぱなしでは納得がいかないので、2人は第2の作戦に出ました。劉備を女のハーレムに投げ込むことでした。孫権たちに誘導されるまま、ハーレムに投げ込まれた劉備は女を周囲にはべらして、「俺TUEEE」とラノベの主人公のような暮らしを始めました・・・・・・
・・・・・・さすがにそんな劉備を見ていた趙雲は劉備のことを情けないと思います。「天下統一の夢はどこいった?」と嘆いている趙雲ですが、思い出したのが諸葛亮からもらった巾着袋。急いで開けると中には「なるほど」と思うことが書いてありました。
呉を脱出
趙雲が劉備のもとに行くと劉備は昼間っから絵に描いたようなラノベ生活送っています。ますます頭が痛くなった趙雲は、「曹操軍が荊州に攻め込んできました」と劉備にウソをつきました。もちろん、これはウソです。諸葛亮がウソのシナリオを巾着袋に入れておいたのです。
ウソにだまされた劉備は目が覚めて、「帰ろう!」と言い始めます。劉備の切り替えの早さも天下一品。こうして劉備と趙雲は荷物をまとめて孫権の妹と一緒に呉を脱出しました。途中で周瑜の妨害にあいますが、諸葛亮が配置していた伏兵により撃退されました。趙雲は見事に劉備を守って荊州に帰還したのでした。
三国志ライター 晃の独り言 行けなかった「三国志展」
東京国立博物館と九州国立博物館で開催されていた「三国志展」が終了しました。筆者は・・・・・行けませんでした!色々と忙しくて見に行くことが出来なかったのです(泣)どうか読者の皆様、筆者のことを「なんちゃって三国志」と思わないでください!これでも日々勉強はしています。どうかこれからも末永く筆者の記事をよろしくお願いします。
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