関羽と呂布と時々赤兎!呂布と関羽はどっちが強い?

2020年3月29日


 

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最後まで戦い抜く張悌(ちょうてい)兵士モブ

 

三国志には色々な人物が登場……するとなると、誰が一番強いのか?という議論が始まるのはある意味当然とも言えますね!

 

桃園三兄弟 vs 呂布の一騎打ち

 

そして「最強の武将」と言われて良く名前が挙がるのが呂布(りょふ)、それから関羽(かんう)。この二人ってどちらが強いんでしょうか?

 

呂布、黒山賊

 

三国志ファンなら気になりますよね。そこで今回は筆者なりにこの二人の「強い要素」を比較してみることにしました。

 

自称・皇帝
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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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三国志演義ならば呂布に軍配が上がる?

成廉、魏越、呂布

 

いきなり三国志演義を引き合いに出しますが、三国志演義を見るとやはり呂布の強さは別格として描かれていると思います。もちろん三国志演義では関羽の凄さ、忠義心も全編を通してかなり描写されてはいますが、何よりも記憶に残るシーンとして虎牢関(ころうかん
)
の戦いが挙げられると思うのです。

呂布VS劉備三兄弟

 

三国志演義ではこの虎牢関の戦いは呂布(りょふ)の凄さ、圧倒的な敵というシーンを読者に見せつけ、認識させるというシーンでしょう。三国志演義を代表すると言ってもいい三英雄、劉備(りゅうび)関羽(かんう)張飛(ちょうひ)の三人と戦う呂布の姿、その凄まじい武勇は圧倒的な存在として読者の心に植え付けられます。

矢を当てる呂布 呂布、紀霊

 

呂布は正史三国志でも弓馬に優れる、敵なし、と言われますが、三国志演義ではそれが更に顕著になっていると思います。

 

正史の記述を見ていくとやはり関羽か

顔良と関羽

 

対して正史三国志を見ていくと、やはり関羽の方が上ではないか?と思わせられます。白馬(はくば)袁紹(えんしょう)軍と対峙し、顔良(がんりょう)を切り伏せるなどの働きをした関羽は曹操(そうそう)がぜひ手元に置きたいと思ったほど。

関羽に惚れる曹操

 

そして曹操が自分の下に迎えたいと思いながらも、関羽はあくまで劉備に仕え続けたこと。武勇だけでなくその忠義心も関羽は称えられている武将ですね。また正史三国志を見てみると、関羽の記述はとても多いです。

父・関羽とともに亡くなる関平

 

それだけ色々な出来事を経験した人物である、そう考えると荊州(けいしゅう)で関羽を失ったことがどれだけ痛手だったか分かるというもの。やはり関羽は蜀の中でも欠けてはいけない武将の一人だったのでしょう。

 

民間の人気を考えて見る

関羽の青銅像

 

さてここまでに比較してみましたが、敢えて言うなら三国志演義ならば呂布、そして正史三国志だと関羽に軍配が上がりますね。そこでもう一つ比較してみたいのが、民間での人気。この点を踏まえて考えると、関羽の圧勝とは言えないでしょうか?

 

関帝廟 関羽

 

なぜなら関羽は三国志の本場と言える中国で「神」となっている、信仰の対象となっている関羽の人気はやはり凄いものだと思います。というのも、中国では近年まで呂布は中国では「裏切り者」「自分の欲で動く」というイメージが強く、儒教思想(じゅきょうしそう)とは相容れない存在だったのですね。

 

野球をする呂布、孔明、劉備

 

しかし日本では数々の三国志を題材にした作品で新しい呂布の姿が描かれたことで、呂布の人気は結構高く、またその呂布のイメージが逆輸入される形となって現在では中国でも再評価されているそうです。しかしやはり関羽の人気の高さ、忠義心までも含めて考えると、筆者の個人的な判断では「強い」のは関羽、だと思いました。

 

呂布と関羽、両方に関係がある赤兎

赤兎馬

 

さて呂布と関羽ということでもう一つ気になるのが、愛馬赤兎馬(せきとば)の存在。三国志演義では呂布亡き後は関羽に譲られたとなっていますが、これについては正史ではどうなっているかは定かではありません。

 

赤兎馬と呂布

 

というのも呂布が赤兎馬にのっていたのが192年前後、関羽が死ぬのが219年。この間ずっと現役となると、約27年、乗り始めた頃には既に3歳付近とすると30歳ほどになります。3歳というのは現在の競走馬のデビューの年齢ですが、この競走馬の寿命が25年ほどだそうです。

 

関羽に見惚れる赤兎馬

 

が、三国志の時代ではまだ医療も発展しておらず、そこまで寿命が長くないとも考えられます。それを踏まえると関羽が呂布の乗っていた赤兎馬をそのまま譲り受けたとは考えにくいので、演義の創作ではないかと言えますね。

 

同年小録(書物・書類)

 

因みに北方三国志では関羽の赤兎馬は呂布の赤兎馬の子供となっていましたが、これなら年齢的にもだいたいつじつまが合うと思われます。何にせよ二大英傑に絡んだ馬、そう思うだけでロマンがあるのは否定できない。魅力のある馬ですね。

 

三国志ライター センのひとりごと

三国志ライター セン

 

今回は呂布と関羽、三国志を代表する武将である二人を比較してみましたが、調べていて分かるのは二人とも本当に強かったんだなということ。そして皮肉と言いますが、その最期には何か通じるものがあるのでは、と感じました。

 

関羽に無視される孫権

 

三国志演義を見ていると、最初は忠義、武勇、真面目さなどが目立っていた関羽が、樊城の戦いが近付いてくるとどこか傲慢さを感じさせるようになっているんですね。そういう面でも関羽と呂布の共通点、というよりも武将たちの最期に対する共通点みたいなものも見えてきて面白かったです。皆さんも関羽と呂布に限らず、色々な武将たちを比較して楽しんでみて下さいね。

 

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樊城の戦い特集

 

 

 

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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