キングダムにおける最大の敵が趙の李牧です。鄴攻めでも、最後の最後まで王翦を兵糧攻めにして苦しめましたが、王翦の秘策と鄴失陥の責任を取らされて邯鄲に召喚されて牢獄に入れられてしまいました。そんな李牧、漫画では細マッチョな青年として描かれていますが、実際何歳だったのでしょうか?
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生まれた年が分からない李牧
春秋戦国時代ではよくあるのですが、李牧が生まれた年については記録が漏れています。しかし、史記を見てみると紀元前243年に趙の悼襄王に用いられて燕を撃ち武遂と方城を抜くと書かれていますから、ざっくりとその時、20歳だったとしても紀元前263年の生まれという事になり、現在のキングダム時間の紀元前236年で考えると27歳という事になります。
それくらいならばキングダムでの容姿とそんなに違いはありませんね。
雁門で長年キャリアを積んでいた
ですが、史実の李牧が27歳という事はさすがにないようです。その理由は李牧が悼襄王に用いられる以前は、雁門という趙の北の国境で匈奴や東胡、林胡というような、異民族を相手に国境警備をしていたからです。
それも、士卒を養い騎射の術を習わしたり、各地に烽火台を設置したり、スパイを放つなど1年や、そこらでは出来そうにない、なかなか計画的な事をしているのが分かります。
また、李牧はそのように訓練はするものの、匈奴が来たら戦わずに家畜を砦に収納して逃げ込むように命じ、違反した者は殺すと厳命しています。
このお陰で雁門では数年間略奪の被害が出なかったものの、李牧は匈奴にも部下の兵士にも臆病者と侮られたとあります。数年には1年から9年まで幅がありますが、間を取って5年としましょう。この時点で李牧の年齢は+5年で32歳という事になります。
罷免で1年経過
その後、李牧のやりかたは臆病すぎるという声があがり、孝成王は李牧にもう少し積極的に匈奴と戦うのように命じますが、李牧は拒否、その為に孝成王は激怒し李牧は雁門の太守をクビになります。
後任の太守は交戦的な男で、匈奴とも度々激闘しましたが勝てず、返って失うものが多いという有様で1年くらいで、やはり李牧を呼び戻そうという声が雁門から上ります。まーったく庶民というのは勝手なものです。
この時点でさらに1年経過しているので、李牧の年齢は+6で33歳になります。
復帰して従来のやり方を墨守5年経過
李牧は、何を今さらと病気を理由に任官を拒否しますが、趙王は強引に李牧を将軍につけてしまったので、李牧は従来のやり方を変えないという条件で雁門に戻りました。
そして、以前のように訓練はすれども戦わないというやり方を貫きます。かくして、また雁門では数年の歳月が流れていきました。ここで再び数年の歳月が流れているので、ここも間を取り5年とします。すると史実の李牧の年齢は、+11になり38歳まで上昇しました。
匈奴を撃破して十数年!
趙の辺境の兵士も訓練ばかりで戦えず、給与ばかりは受けていたので、皆、李牧に一戦する事を臨みました。そこで李牧は、頑強な兵車を1300に騎馬を3000選抜し、戦の手柄で百金を得た勇士5万人、さらに弓の名手10万人を配置して大演習をします。そして、大いに家畜を放牧し人民を外に開放します。これを見た匈奴が少し侵入してくると、偽って敗走し数千人を置き去りにしました。
匈奴の単于はこれを聞いて、大軍を率いて侵入してきたので、李牧は多くの奇陣を配置し鶴翼の陣を敷いて、匈奴の騎兵を包囲殲滅、十数万も殺し、隣の東胡も破り林胡を降伏させました。
これで、単于は敗走、その後、匈奴は十余年間、雁門に近づきませんでした。また、ここで十余年という時間が提示されました。これも間を取って15年としましょう。理由は人数を減らした匈奴が、再び騎兵を編成するのに15年位はいると思うからです。となると、李牧は38+15で53歳という事になります。
逆算すると李牧は紀元前289年の生まれ
もろもろを加えて逆算していくと、李牧は紀元前289年の生まれで、この年は趙の恵文王の10年にあたります。秦の始皇帝に比較すると、30歳の年長で父親の世代と考えても不思議はありません。
史実の李牧はキングダムで見るような若い姿ではなく、昌文君のような苦み走った渋いオッサンの造形が実物に近いと思います。余計な話ですが、昌文君は紀元前271年頃の生まれなので、史実の李牧よりも18歳くらい若いです。
キングダムの昌文君は、王騎の元同僚という設定の為に老け役として設定されているのでしょう。
守戦の名手という称号がすでにジジ臭い
そもそも李牧の称号「守戦の名手」というのもすでにジジ臭い感じがします。何十年も戦塵に塗れて、無数の戦争キャリアから敵の行動パターンを読み取り、必要最小限の動きで攻撃を回避するというのは、熟練した将軍のやり方で、そこにも李牧のそこはかとないジジ臭さを感じます。この辺りを総合すると李牧は若くても50代、でなければ60代オーバーの歴戦の名将というのが真実の姿だと思いますね。
キングダム(春秋戦国時代)ライターkawausoの独り言
以上、好き勝手に述べてきましたが、李牧は50代から60代という結論が出ました。
李牧は、元々は雁門のベテラン太守で何も無ければそこで人生を終ろうという所を人材難の趙が引っ張り出してきたという感じですね。廉頗辺りが、楽乗と揉めて魏に出奔しなければ、ずっと雁門の長官で秦によって趙が滅んでも、そのまま雁門に配置され続けたかも知れません。
参考:史記廉頗藺相如伝
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