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『新解釈・三國志』三顧の礼に秒速でOKと応える孔明は実話だった!

2020年12月13日


 

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朝まで三国志2017-77 kawauso

 

三国志ファンならずとも、内心は気にしているはずの『新解釈・三國志』いよいよ映画の封切りが12月11日と迫ってきました。でも、三国志って何よ?大泉洋(おおいずみよう)が出るから一応見るけど…と考えている方も一定数おられるとkawausoは推測します。

 

新解釈・三國志 三顧の礼に秒で答える孔明 孔明、劉備

 

そこで、今回は、三国志の主人公、劉備(りゅうび)孔明(こうめい)が出会う三顧(さんこ)の礼について、そらもう!あり得ない程、簡単に分かりやすくご説明致します。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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三顧の礼とは?

三顧の礼 ゆるキャラ 孔明

 

そもそも三顧の礼とは、人の家を3回尋ねてスカウトするという意味です。はい、そうですね、問題は人の家を3回尋ねるのが、なんで三国志では重要なイベントなのか?という事ですね。

 

二刀流の劉備

 

実は、劉備という人は、孔明を尋ねる時点で左将軍という見た目と違い、どえらい肩書を持っています。今で言えば大臣クラスと言っていいでしょう。

 

孔明

 

一方で、孔明はすごいぞ、すごいぞと噂されながらも、この時点ではどこにも就職していない、27歳のニート君でした。

 

孔明の留守宅の壁に長々と漢詩を書いて汚す劉備

 

防衛大臣である劉備(47歳)が、関羽(かんう)張飛(ちょうひ)というお供を従えて、ニートの孔明に3度も会いに行って、スカウトしたというのが三顧の礼の意味なのです。しかも、3回も尋ねたのに、最初の2回は孔明が留守でした。

 

普通の防衛大臣なら、それが現代でも

「失礼すぎでしょ!あのクソニート。一体何様よ!俺、もういかないかんね」

となるところを、劉備は何一つ文句を言わず、

「いやいや、こちらが頼みに来たのだから」と終始低姿勢でした。

 

劉備 黒歴史

 

ニートの孔明も、大臣クラスで年齢も20歳離れている劉備の謙虚さに感銘を受けて、スカウトを承知して劉備の配下になったのです。以上が三顧の礼の意味です。

 

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福田監督は三顧の礼をパロディにしたのか?

3000人の配下で孔明の庵を包囲する武闘派な劉備

 

三顧の礼を理解した賢明な読者の皆さんは、『新解釈・三國志」でムロツヨシ演じる孔明が、劉備のスカウトを秒速でOKするのを見て、きっとこう思うでしょう。

 

 

「そうか!孔明に劉備のスカウトを秒速でOKさせる事で、三顧の礼をパロディにしたんだな」

 

確かにその解釈でも間違いではありませんが、福田監督は、もう少し深い解釈を施しています。

 

諸葛孔明を自分のもとに入れたくて堪らない劉備

 

実は史実の孔明は、劉備が訪ねてくる前からあの手この手でアピールをして、劉備が自分を尋ねてくるように仕向けた可能性があるのです。

 

三顧の礼特集バナー

 

三顧の礼は孔明のヤラセだった!

徐庶が欲しくてたまらない劉備

 

劉備が孔明を軍師に迎える少し前、劉備軍には徐庶(じょしょ)という軍師がいました。そして、この徐庶が劉備に「孔明と言う天才軍師がいるので訪ねてみては?」と孔明の居場所を教えた張本人なのです。

 

徐庶

 

さらに!さらに!この徐庶は孔明とは親友であり、同じ師匠の元で学んだ同級生でした。つまり、徐庶は親友の孔明を劉備に売り込む為に、あえて居留守を使って劉備を焦らし、自分を高く売り込むように、孔明にアドバイスした可能性があります。

 

孔明

 

極端な事を言えば三顧の礼はヤラセで、本当の孔明は秒速で劉備に仕えたかったのです。『新解釈・三國志』では、それを表現する為に三顧の礼を省いたのかも知れません。

 

最初から主君を騙してしまうとはlおそるべし孔明の罠です。

 

魏志(魏書)_書類

 

また、魏略という史料によれば、孔明は自ら劉備の城に行き、「あんた、だらだらしていると曹操に滅ぼされるよ!」と挑発して劉備の気を引き、軍師の座をゲットしたと書かれています。

 

孔明

 

どっちが本当は分かりませんが、孔明は理想の主君がやってくるのを、いつまでも黙って待っているような、夢見る夢子ちゃんではなかったかも知れません。

 

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三顧の礼は大変だった

 

また、三顧の礼は実際にあったとすれば、大変な重労働でした。広い広い中国大陸では、となり近所と言っても行くだけで5~6時間という事はザラなのです。だから徒歩ではなく、馬車や牛車や騎馬のような移動手段が発達したのでしょう。

 

三顧の礼があった当時、劉備の本拠地は荊州(けいしゅう)新野城(しんやじょう)という場所であり、孔明は荊州の隆中(りゅうちゅう)という所に住んでいましたが、直線距離で80キロもあります。隆中は山の中なので、実際の移動はもっと長く感じたでしょう。

 

祁山、街亭

 

劉備一行が馬で移動したとしても、おそらく半日がかりでしょうし、それで孔明が留守だったら、往復だけで1日が潰れてしまいます。それを孔明は2回留守にしているんですから、言い出しっぺの劉備はともかく、お供しているだけの関羽や張飛は、相当頭に来た事でしょう。

 

大声を出す張飛

 

三国志演義(さんごくしえんぎ)では、3度目に孔明の(いおり)を尋ね、孔明が昼寝しているのを知った張飛が逆上し、家に火をつけようとして関羽に止められています。事情を知らなければ「張飛は短気だなー」と思いますが、2日も時間を潰した相手が、のんきに昼寝していれば、頭にも来るでしょうね。

 

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『新解釈・三國志』三顧の礼の見どころ

kawauso 三国志

 

従来の三国志では、孔明は生真面目で冷たい印象がある秀才肌の人物でした。しかし、『新解釈・三國志』でムロツヨシが演じる孔明は、いい加減で明るく、劉備を煙に巻くような、愉快な人として登場します。

 

黄月英

 

また、三国志演義では仲むつまじいとされた、正室の(こう)夫人(橋本環奈)が『新解釈・三國志』では鬼嫁として描かれ孔明を(しいた)げるそうですから、その辺も楽しみですね。

 

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赤壁の戦い

 

 

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台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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