三国志と言えば古代中国の一つの時代、それを記録したものですね。しかしその三国志は現代でも、そして日本でもとても人気がある、一大ジャンルと言っても良いでしょう。
これもひとえに三国志が面白いから……と言うのは少し乱暴でしょうか?
そこで今回は更に一歩踏み出し、三国志の面白さ、のポイントを考えてみたいと思います。
この記事の目次
三国志が始まるまで
まずは三国志が始まるまで、一般的に三国志の始まりをおさらいしましょう。まず漢という一つの国がありました。これは項羽と劉邦でお馴染みの、劉邦が開いた王朝です。
しかし作り上げた劉邦は既におらず、漢の国は乱れに乱れ、天変地異やらも起こり、政治も腐敗しまくり。民の国への不満は爆発。ここで有名な黄巾の乱という一大イベント大反乱が起こります。
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三国志が終わるまで
黄巾の乱は諸将の活躍で鎮圧されますが、この鎮圧から地方の豪族たちによる群雄割拠の時代が始まりました。
ここから漢王朝から禅譲を受けて魏が、そして対抗するように蜀、何やかやで呉が生まれます。ここに至るまでも中々に長く、煌めくように数多くの名将たちが現れ、そして消えていきます。
そしてこの三国は時には手を組み、時には争いを繰り返し……最後は一つの国による天下統一による集結を迎え、三国志の時代は終わるのでした。
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実際の始まりと終わりは
因みに物凄く細かいことを言うと、三国志の時代が始まったのは曹操の死後、息子の曹丕が後継者になって漢王朝から禅譲を受け、後を追いかけるように蜀と呉が生まれてからが三国志の時代の始まり。
つまり黄巾の乱が始まるどころか終わってもまだまだ漢の時代です。
更に言うなら三国志の終結を迎えさせたのは魏でも蜀でも呉でもなく魏から禅譲を受けた晋なので、三国志の終わりも正確に言うともっとややこしくなってしまいますが……まあここではざっくりとした「三国志の時代」を述べていきましょう。
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日本でも大人気な三国志
そんな三国志は、日本でも大人気な一大ジャンルとなっています。その人気は昨日今日始まったものではなく、遡ることは元禄初年。この年に「通俗三国志」という三国志演義の翻訳された本が日本に流通し始めました。
日本では江戸時代中期から既に三国志に親しんでいたのです。そこから1900年代になって吉川三国志、また横山三国志など、小説や漫画となり、現代ではゲームなどの題材としてお馴染みの存在となっているのです。
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