江戸時代の三国志人気は現代以上だった!?当時はなんで人気だったの?

2020年1月21日


 

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周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志(本)

 

小説にマンガ、ドラマ、映画とさまざまなメディアのテーマになっている三国志。『三国志演義』をベースにしたコンテンツは今も次々と誕生しています。でも実は、すでに江戸時代に「三国志ブーム」があったというのをご存じですか?

 

私たち日本人と三国志との長い付き合いの始まりを紹介しましょう。

 

自称・皇帝
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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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『三国志演義』到来

羅貫中

 

1300年代の後半に羅貫中(らかんちゅう)によって作られたとされる『三国志演義』。日本にはいつごろやってきたのでしょうか。江戸時代の漢学者林羅山(はやしらざん)の所有する漢書の目録の中に、『西遊記』などと並んで『三国志演義』の文字があります。

 

羅貫中と関羽

 

林羅山は1583年から1653年に生きていた人物なので、江戸時代初期にはすでに『三国志演義』は日本にあったんですね。ただ、これは「輸入盤」の原書なので、中国語のまま。『通俗三国志』として日本語版に翻訳されたのは1692年。「湖南文山」という人が隠居後に訳したものです。

 

江戸時代の各種エンターテイメントで大人気

夜の五丈原で悲しそうにしている孔明

 

翻訳された三国志はたちまち江戸の庶民の間で人気を博します。有名浮世絵師が絵を描いた絵入りの『三国志演義』が刊行され、それを日本風にアレンジした洒落本も数多く出回りました。また歌舞伎や浄瑠璃などの演劇の項目になっています。歌舞伎では五丈原(ごじょうげん)の戦いが演じられたという記録が残っています。

 

中国ブームに沸いていた江戸時代

江戸城

 

どうして三国志がそれほど人気だったのかという背景の1つに、中国ブームが挙げられます。鎖国が始まり、外国の文化がシャットアウトされた江戸時代。そんな中、出島での貿易が許されていたのがオランダと中国でした。外国の文化に触れられる機会が極端に減ってしまった中で、お隣の中国の書籍に対する需要が一気に高まったのでした。

 

辮髪(べんぱつ)

 

現代の日本人が英語を趣味やスキルアップに学んでいるように、江戸時代には中国語を勉強する人が増えていました。そして私たちが海外の映画や小説に興味を持つように、当時の人たちは中国の文化に以前より関心を抱くようになりました。

 

西遊記

 

その結果、『三国志演義』を始め、『水滸伝』や『西遊記』などの中国小説が庶民の間で流行したのでした。壮大な中国大陸を舞台にした小説に、人々は魅了されたことでしょう。

 

邪馬台国と卑弥呼軍

 

しかも三国志の時代の日本はまだ卑弥呼のいた弥生時代でした。そのころに数十万という兵士がぶつかり合い壮絶な一騎打ちを行い、陰謀や策略が渦巻いていた世界。きっと江戸の人たちを熱狂させたことでしょう。

 

「演義」ならではの人気の理由

曹操と劉備

 

そうした中国ブームの下地があったので、三国志も人気になったのでしょうが、もうひとつ『三国志演義』ならではの理由もあったようです。それは、正史の『三国志』と『三国志演義』の違い。正史の『三国志』は曹操(そうそう)が主役なのに対して、『三国志演義』の主役は劉備(りゅうび)であることです。

 

曹操から逃げ回る劉備

 

日の出の勢いで中国大陸の半分を支配してしまった曹操に比べ、貧困の身から放浪を続け、ようやく蜀という国を持つ劉備。一般市民としてはどちらの方に感情移入しやすいかは明らかですよね。おまけに劉備は仁徳を備えた篤い庶民の味方。

 

関羽、劉備、張飛の桃園三兄弟

 

関羽(かんう)張飛(ちょうひ)との義兄弟の契りもポイントが高かったのでしょう。漢王朝の末裔(まつえい)というのも日本人にはぐっとくるところかもしれません。正史とはちょっと違うキャラクターの劉備だったからこそ、日本人の共感を呼んだのかもしれませんね。

 

三国志ライターたまっこの独り言

たまっこ f

 

なんとなく現代になって日本のに定着したように思える三国志ですが、実は400年以上も前に先輩方がいらっしゃったんですね。そして彼らにも同じようにお気に入りの武将やシーンがあったのだろうと想像するとなんだかにやけてきてしまいます。

 

参考文献

「日本人と『三国志演義』--江戸時代を中心として」 関西大学中国文学会紀要 井上泰山

 

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三国志平話

 

 

 

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たまっこ

KOEIのゲームから歴史に興味を持ち始め、 吉川英治の「黒田如水」を読んで以来、歴史にどっぷり。 最近はローマ史がお気に入り。 外国からの観光客に日本の歴史を伝えるお仕事も そのうちできたらなぁ、と思ってます。 好きな歴史人物: ユリウス・カエサル、竹中半兵衛、葛飾北斎、エイブラハム・リンカーンなど 何か一言: 歴史には、 自分には到底できない生き方をした人がゴロゴロいて、 飽くことがありません。

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