三国志において、劉備の部下には諸葛亮という名軍師がいましたが、劉備のライバルである曹操の配下にも荀彧という諸葛亮に勝るとも劣らない智謀を持つ軍師がいたことは知られています。
今回は北方謙三先生の名作『三国志』(以下、「北方三国志」とします。)における荀彧というキャラクターに迫っていきたいと思います。
荀彧と曹操という名コンビの誕生
荀彧は豫州の名家に生まれた名士であり、若いときからその優れた才能と智謀は知る人ぞ知る存在であり、「王佐の才」を持つと言われていました。こうした才能あふれる荀彧でしたが、彼は袁紹と曹操の双方から仕官を呼びかけられます。
しかし、荀彧は名門であることを鼻にかけ、天下万民の安寧より自らの権勢を優先するような袁紹を嫌い、曹操に仕官します。旗揚げからまもない曹操は荀彧が幕下に加わったことに大喜びし、荀彧を曹操軍の参謀として重用します。これ以降、若き日の曹操と荀彧はともに主従として、そして戦友として戦乱の時代を戦い抜いていきます。
曹操の覇道を支える荀彧
曹操の配下に加わった荀彧は、天下を目指す曹操の覇業を支える原動力となっていきます。荀彧は曹操の軍師として彼に常に付き従いますが、いくら曹操といっても常勝不敗ではありません。その進む道には平坦ではなく、時に挫折や敗戦がつきまといました。
荀彧はそのような曹操の覇道を支え、時にはともに死線をくぐりぬいていきます。例えば、黄巾党の残党である青州黄巾軍との戦いでは、荀彧は曹操とともに百万とも言われる敵の大軍に戦いを挑み、曹操の盟友であった鮑信が戦死するなどの大きな犠牲を払いながら戦い抜き、青州黄巾軍を降伏させて青州兵として曹操軍に加えます。
長きに渡ったこの戦いを指揮し続けた荀彧は、20代にもかかわらず髪が白髪となり、自分の脚で立って歩けなくなるほど消耗しますが、それでも曹操のために戦い抜きました。
このように、荀彧は天下を目指す曹操に忠誠を誓い、粉骨砕身して曹操のために尽くし、曹操もそんな荀彧を、漢の高祖劉邦を支えた軍師張良になぞらえて「我が張良子房」と呼ぶほど信任していたのでした。
荀彧と曹操との間に生じた溝
このように、曹操のもとで活躍し続け、曹操の出す無理難題とも言える困難な事業を支えた荀彧でしたが、次第に曹操との間に軋轢が生じるようになります。それは、荀彧と曹操との国家像の違いによるものでした。
曹操も荀彧も目指すものは天下の平定でしたが、天下平定の先に見据えるものは二人の間で異なっていました。曹操は、400年続いた後に衰退しきった漢王朝を「腐った血」と切り捨て、漢王朝を倒して自らを中心とする新たな時代を築くことを目標としていました。
しかし、荀彧は違いました。荀彧は勤皇家であり、衰退した漢王朝の復興こそが荀彧の悲願だったのです。荀彧が曹操に従って戦い続けたのも、実力者である曹操が天下を統一することで戦乱をおさめ、再び漢王朝の帝を中心とする「あるべき国の姿」を再建するためだったのです。
このように、目指すものが違う両者の間には次第に埋めがたい溝が深まっていくことになります。
万世一系の王朝を中心とした国家を理想とし、漢王朝の再興を目指す荀彧の思想は、曹操の宿命のライバルである劉備の考え方に近く、荀彧は次第に漢王朝復興を目指す劉備の思想に共鳴するようになりながらも、長年苦楽をともにした主である曹操との主従関係を捨てることもできず、理想と現実の間で苦悩を募らせていきます。
人は愚かな存在なのか、それとも信ずるに値する存在なのか?:荀彧の最期
自らの理想と、主である曹操に対する義理との間で悩み続ける荀彧は、ある日、ついに曹操と己の理想について語り合います。
荀彧は曹操に対して、天下を統一して戦乱をおさめた後にはあくまで漢王朝に仕える丞相として天下を治めるべきと進言しますが、曹操は「腐った血が、この国の中心としてあっていいわけがない。」と喝破して荀彧の進言を一蹴します。
そして曹操は、人の本質を愚かな存在と考えており、「高貴な血であってもいずれ血は腐敗する」として「血の入れ替え」、すなわち革命こそが天下万民のためになると主張します。
愚かな人という存在に悲観的な曹操に対し、荀彧は「私は、自分が人なるがゆえに、人を信じたいと思うのです」と返し、二人の議論は平行線をたどりました。この後、荀彧は曹操に一言も告げぬまま命を絶ってしまいました。
これを知った曹操は深い悲しみに襲われるとともに、どこか深いところで荀彧に裏切られたという思いを感じ、強い喪失感に沈むこととなります。単なる主従にとどまらず、苦楽をともにした戦友だったからこそ、荀彧の死が曹操に与えた衝撃は大きかったのでしょう。
三国志ライターAlst49の独り言
いかがだったでしょうか。「北方三国志」で描かれている荀彧と曹操の関係は非常に複雑なものです。二人は主従関係にありながら、苦楽をともにした戦友であり、そして深いところでは決して相容れないライバルのような関係でした。そのような複雑な人間関係を見事に描き出している点こそが、「北方三国志」のすばらしさではないでしょうか。
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