三国志の時代実はもう一つ国があったことを皆さんご存知でしょうか。その国は現在の遼東半島を領有していた公孫家です。彼らは三代にわたって遼東地方で独立勢力を築き、中国が魏・蜀・呉の三国に分かれた三国時代にも登場しております。今回は遼東三代記と称して公孫家にスポットを当てていきたいと思います。第一回は幸運に恵まれて遼東の王になった公孫度(こうそんたく)を紹介したいと思います。
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この記事の目次
幸運に恵まれた男その1:玄莵太守の息子と同名で顔立ちが似ていた
公孫度は父・公孫延(こうそんえん)が事件に巻き込まれたため、故郷である遼東を父と共に去り、玄莵(げんと)郡に移り住みます。玄莵郡の太守である公孫琙(こうそんよく)は早くに息子の豹(ほう)を亡くしてしまい意気消沈していました。彼はたまたま息子に顔立ちがそっくりである公孫度を見てびっくりし、自らの家に彼を招いて名を聞いてみた。すると彼の若い頃の名が息子と同名であることが判明。公孫琙はそのため公孫度を可愛がり、勉学の為の出資を彼に行います。また奥さんを探して迎えてやり、溺愛します。公孫度は公孫琙のおかげで冀州の刺史に就任する事が出来ました。
幸運に恵まれた男その2:同郷の徐栄に推挙され遼東太守へ
公孫度は冀州の刺史に就任しますが、同僚からの悪口により、クビになってしまいます。しかし彼の運の良さは留まる事を知りません。彼は董卓(とうたく)軍の勇将である徐栄(じょえい)と同郷でした。徐栄は董卓に仕えて中郎将の位を与えられておりました。彼は公孫度を董卓に遼東太守へ推薦。董卓は徐栄の願いを聞き入れ、遼東の太守に任命します。
2度にわたって幸運をつかんだ公孫度
公孫度は2回にわたって訪れた幸運を自らの物にした事で、大きく運命は好転します。人は人生において幸運の量は決まっていると聞いたことがありますが、あまり苦労をせず、ここまでラッキーに恵まれた人物も中々いないと思います。こうしてあんまり苦労をしないで遼東の太守になった公孫度は遼東の地に赴くと彼は変貌します。
太守となって恨みを晴らす
公孫度は遼東に赴き仕事を開始します。しかし彼の部下たちは密かに「小役人上がりのくせに生意気なんだよ」や「玄莵太守に気に入られたから今の地位があるんだろ。本当は無能なくせに」など悪口をささやかれます。公孫度は部下の役人が悪口を言っているのを聞き、激怒。復讐を決意します。悪口を言っていた部下たち処刑し、部下の家族も同罪で処断します。また彼の息子である公孫康を小さな役職にしか就けなかった役人を罪に陥れ殺害。また公孫度に冷たい態度を取った遼東の豪族を法律に基づいて処刑します。こうして遼東で公孫康に逆らう者はいなくなり、彼の独壇場となります。
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