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万象不敗のミュージカル軍団を率いた呉将軍・留賛の戦術が面白い件

2022年8月8日


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曹植

 

皆様は歌はお好きでしょうか?

 

筆者はかなり大好きで、実は文章を書く時にも何かしら音楽をかけ、調子が良い時には拳を聞かせて歌いながら……逆に調子が悪くなると「音楽うるさい!」と八つ当たりして完全無音にするなどして過ごしています。

 

枝豆と煮豆 曹丕と曹植

 

ともあれ何かしらの音楽を歌うのはテンションを挙げるのにも良いと思いますね。

 

留賛

 

そんな音楽を自由自在に操った(過言)武将が、実は孫呉に存在していたのです。今回は孫呉のミュージカル武将・留賛(りゅうさん)をご紹介しましょう。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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留賛という人物

呉志(呉書)_書類

 

さて留賛、字は何とも清廉なイメージを伺わせる正明。打てば轟良く響くかのような字ではありませんか。彼は呉書にそのまま伝があるわけではないのですが、孫峻伝(そんしゅんでん)に付属する形でその記録を読むことができます。

 

暴れまわる黄巾賊

 

しかし、そのスタートは何ともキョウレツ。嘗ての黄巾賊(こうきんぞく)と戦った際に、指揮官を討ち取った代わりに留賛は足を負傷し、曲げられなくなり、歩けなくなったのです。

 

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それでも毎日兵法書や歴史書を読み、研鑽を続けていた留さん……いえ、留賛。しかしある日、彼は決断し、家族を集めました。「私はこのままでは死んだも同然!足の筋を切る!」驚いた家族が止める中、足の筋を切って余りの痛みに気絶した留賛。

 

凌統

 

しかし気絶している間、ずっと家族が足を支えていたためか何とか歩くことができるようになり、その話を聞いた凌統(りょうとう)孫権(そんけん)に推挙したのです。

 

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ミュージカル

ポイント解説をするセン様

 

そんな留賛、凄いエピソードがあります。それは留賛の戦い方。箇条書きで説明しましょう。

 

・敵と相対する

・髪を振り乱して天に叫ぶ

・ミュージック・スタート!(高らかに)

・留賛の左右の兵が歌いだす

・不敗(そしてアンコール)

 

何と留賛はこの時代にミュージカル要素を既に見出して、戦の場に取り入れていたのです。というのは冗談ですが、音楽を歌うことでテンションを高めた留賛たちは負けなしだったようです。そうして万象不敗のミュージカル軍団を率い、孫呉の留賛在り!と言われていたとかいなかったとか。

 

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諸葛誕

 

もちろんその記録は他にも残っており、有名な所では諸葛恪(しょかつかく)に率いて向かった諸葛誕(しょかつ たん)との戦い。この戦いで丁奉(ていほう)と肩を並べ、一緒に華やかな歌を歌いつつ(かどうかは分からないけれど)、魏軍の隙を突いての挟撃作戦で相手を壊滅させしめたと言われています。

 

このことから左将軍となり、彼の戦いの神への捧ぐ戦歌は万里に轟いたことでしょう。なおその性格は主君であっても真正面から正論をぶちかますもので、孫権からは煙たがられていたとか。とは言え、その美声は中国全土に届くことはなかったのです。

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セン

両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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