皆様は歌はお好きでしょうか?
筆者はかなり大好きで、実は文章を書く時にも何かしら音楽をかけ、調子が良い時には拳を聞かせて歌いながら……逆に調子が悪くなると「音楽うるさい!」と八つ当たりして完全無音にするなどして過ごしています。
ともあれ何かしらの音楽を歌うのはテンションを挙げるのにも良いと思いますね。
そんな音楽を自由自在に操った(過言)武将が、実は孫呉に存在していたのです。今回は孫呉のミュージカル武将・留賛をご紹介しましょう。
この記事の目次
留賛という人物
さて留賛、字は何とも清廉なイメージを伺わせる正明。打てば轟良く響くかのような字ではありませんか。彼は呉書にそのまま伝があるわけではないのですが、孫峻伝に付属する形でその記録を読むことができます。
しかし、そのスタートは何ともキョウレツ。嘗ての黄巾賊と戦った際に、指揮官を討ち取った代わりに留賛は足を負傷し、曲げられなくなり、歩けなくなったのです。
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決断(字の通り)
それでも毎日兵法書や歴史書を読み、研鑽を続けていた留さん……いえ、留賛。しかしある日、彼は決断し、家族を集めました。「私はこのままでは死んだも同然!足の筋を切る!」驚いた家族が止める中、足の筋を切って余りの痛みに気絶した留賛。
しかし気絶している間、ずっと家族が足を支えていたためか何とか歩くことができるようになり、その話を聞いた凌統が孫権に推挙したのです。
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ミュージカル
そんな留賛、凄いエピソードがあります。それは留賛の戦い方。箇条書きで説明しましょう。
・敵と相対する
・髪を振り乱して天に叫ぶ
・ミュージック・スタート!(高らかに)
・留賛の左右の兵が歌いだす
・不敗(そしてアンコール)
何と留賛はこの時代にミュージカル要素を既に見出して、戦の場に取り入れていたのです。というのは冗談ですが、音楽を歌うことでテンションを高めた留賛たちは負けなしだったようです。そうして万象不敗のミュージカル軍団を率い、孫呉の留賛在り!と言われていたとかいなかったとか。
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歴戦の彼らと呉を支える
もちろんその記録は他にも残っており、有名な所では諸葛恪に率いて向かった諸葛誕との戦い。この戦いで丁奉と肩を並べ、一緒に華やかな歌を歌いつつ(かどうかは分からないけれど)、魏軍の隙を突いての挟撃作戦で相手を壊滅させしめたと言われています。
このことから左将軍となり、彼の戦いの神への捧ぐ戦歌は万里に轟いたことでしょう。なおその性格は主君であっても真正面から正論をぶちかますもので、孫権からは煙たがられていたとか。とは言え、その美声は中国全土に届くことはなかったのです。
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