さて皆様も良くご存知の通り、三国志の英傑の一人にして、三国志演義の後半の主人公とも言える存在、それこそが諸葛亮です。
三国志演義での活躍がやや人間離れし過ぎていること、また彼を引き立てるために他の武将の扱いがよろしくないことから読者からはたまにヘイトを向けられてしまう諸葛亮ですが、正史においてもその能力と忠義が並々ならぬ存在であることは間違いではありません。
そんな諸葛亮の才覚がキラリと光る、諸葛菜について、今回はお話したいと思います。
諸葛亮の戦
さて三国志演義では戦の陰には諸葛亮の軍才あり、とばかりに軍師としてその才覚を奮う諸葛亮ですが、正史では基本的に活躍するのは後半です。とはいえ全く活躍をしていないということではありません。
劉表が亡くなって進退窮まった劉琦に策を授けたり、また孫権と対話して赤壁の戦いへの同盟を進めたりするなど、外交面でもその手腕を発揮しています。
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諸葛亮の内政面での働き
特に注目したいのが劉備の入蜀後、諸葛亮は軍師将軍・署左将軍府事となってから。諸葛亮は劉備が外征に出る際には常に成都を守っていました。これは劉備が留守を任せられるという信頼であり、何かあっても常に上手に捌くことができるという能力を評価されてのことでしょう。
また諸葛亮は劉備軍における兵站を担当し、これを支えていたと記録されています。軍事における最も大事な部分は、諸葛亮によって支えられていたのです。
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劉備没後の諸葛亮
更に後、劉備は夷陵の戦いで……ではありませんが、夷陵の戦いの敗北後、失意の後にこの世を去ることになります。ここで諸葛亮は劉備に後を託され、その後は軍事においても先頭を切って戦うことになります。
この後は益州南部四郡平定、そして北伐が227年から開始されます。北伐は大小様々な戦いの規模が有れど、第五次北伐まで行われることになるのです。そして、この北伐に置いて、もしかしたらそれ以前から……諸葛亮が戦場において用いた「もの」こそが「諸葛菜」と言われているのです。
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諸葛菜とは?
この諸葛菜、吉川三国志、篇外余録にて触れられている野菜です。さてかいつまんで説明しますと、諸葛菜とはまず蕪のようなもので、春夏秋冬季節を選ばずいつでも育つ野菜で、しかもどんな土地でも育つ野菜。
更に根っこから茎、葉に至るまで食べることができ、生でも煮てもOK!……というスーパー野菜で、これが諸葛亮が指揮する軍の食事を支えていたのだとか。
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