卑しい身分から、曹操の正妃へ卞夫人 Part.1

2015年5月25日


 

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13人の妻達(曹操)

 

三国志の英雄である曹操は、13人という妻を持つ艶福家でした。もっとも、後代の皇帝には、三千人という妻を持つ人物もいましたが、それらは、平和な時代の話であり、曹操のように生涯戦争をしながら、13名の妻を愛したような人は希であると言えます。そんな曹操に恐らく最も愛され、またもっとも頼りにされたのが、曹操の妃である卞(べん)夫人、後の武宣皇后卞氏です。徐州琅邪郡開陽県(現在の山東省臨沂市)の人で、西暦160年に生まれたと伝えられていますので、曹操よりは5歳年下という事になります。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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卞夫人はどんな人だったの?

卞夫人 曹操

 

卞夫人は、容姿に優れてはいたものの、生まれは貧しかったようで、現在の甘粛省にあった(しょう)で歌妓(かぎ)として花街か、大金持ちの家で雇われていたようです。しかし、20歳の時、青年将校だった曹操がを訪れた事で、卞夫人の運命は大きく変わる事になります。

 

卞夫人に惚れた曹操

熱血曹操

 

曹操は卞夫人を見染めて、彼女を妻にしたいと思ったのです。恐らく相応な身代金を支払い、卞夫人は曹操の側室になります。そう、この頃、すでに曹操は結婚していて、卞夫人は、何名かいる側室の中の一人だったのです。西暦190年頃、卞夫人が30歳頃の事、董卓が洛陽に入って暴政を敷くと、曹操は難を逃れようとして一度、洛陽から脱出しました。

 

袁術がまた余計な事を言いふらす

袁術 伝説 ゆるキャラ

 

もちろん、曹操の屋敷の人間は、そんな事情は知りません。いつまでも曹操が帰らないので不安に思っていると、袁術(えんじゅつ)がやってきて慌てた調子で言いました。

 

「曹操は、董卓が入ってきた混乱で殺されたようだ。悪い事は言わん、お前達も洛陽を離れた方がいい」

 

屋敷の人間は、袁術の言葉を真に受けて、帰る支度を始めると、卞夫人はそれを押しとどめました。

 

「旦那様の吉凶は、まだ分かりません!死んだなどというのは、根拠がない伝聞かも知れません。もし、今日、私達が故郷に帰り、明日、旦那様が屋敷に帰ってこられたら、私達は旦那様に合わせる顔がありますか?

 

もし、万が一、旦那様が死んでいた事が分かれば、その時は皆で旦那様の後を追えば済む事です」

 

曹操の屋敷の人々は、皆卞夫人の言葉に勇気づけられ、ついに一人も帰らず、曹操の帰宅を待ちました。曹操は、そんな卞夫人の態度を賞賛し、目を掛けて、頼りにするようになりました。

 

卞夫人が側室になった頃、当時の曹操の正妻は、丁(てい)夫人という女性であり、元の曹操の正妻で若くして死んだ、劉夫人の後妻として劉夫人の遺児達を養育していました。丁夫人には、子供がなく、その為に遺児達を我が子のように育てていたのでした。

 

丁夫人は卞夫人に対してどう思ってたのか?

 

そんな丁夫人は、名家の出身だったので、身分の低い、卞夫人にはかなり厳しく当たりました。そこには、卞夫人が自分と違い、子供に恵まれたという理由もあったでしょう。しかし、卞夫人は、その事にちっとも不満を漏らさず、常に控えめで、贅沢をせず、検約に努めて曹操と丁夫人に尽くしました。

 

卞夫人の運命が変わる

曹操は女性の敵なの?もじのみ

 

卞夫人の運命が、さらに変わったのは、西暦197年の事です。この頃、卞夫人は、37歳になっていました。その年、夫である曹操は、張繍(ちょうしゅう)という群雄を降します。そこで、曹操は、張繍の叔父である張斉の未亡人である鄒氏を見染めて、愛欲に溺れる毎日を過ごすようになります。ところが、それは叔父を尊敬していた張繍には許し難い侮辱でした。張繍は、軍師の賈詡と謀り、曹操を騙し討ちにしようと兵を挙げます。鄒氏の愛に骨抜きになっていた曹操は、計略に気づくのが遅れて、絶対絶命の窮地に陥ります。

 

この時、曹操の身代わりになり、敵を防いだのが、曹操の息子の曹昂(そうこう)と曹安民(そうあんみん)でした。曹操を逃がした二人は、張繍の兵の前に戦死してしまいます。実は、丁夫人が可愛がっていた劉夫人の遺児とは、曹操の身代わりになって死んだ曹昂だったのです。

 

曹妻シリーズ 卞夫人 Part2に続く

 

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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