90話:張任によって龐統討たれる

2015年6月30日


張任と劉璋

 

涪水城が、龐統(ほうとう)の計略で落ちた事を知った

劉璋(りゅうしょう)は大慌てします。

こうなっては、成都城を守るのは、雒(らく)城のみだからです。

 

しかし、頼りにならない劉璋配下の武将の中には、

とびきりの名将が存在していました、それが張任(ちょうじん)です。

 

前回記事:89話:龐統、涪水関を計略で落とす

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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劉璋軍の名将:張任(ちょうじん)の策略

 

張任:「劉備(りゅうび)如き泥棒猫、何ほどの者でしょうや、、

この張任が、必ず討ちとってご覧にいれましょう」

 

張任は、劉璋に大見得を切ると出陣し、雒城の手前の

落鳳坡(らくほうは)という細い道に伏兵を仕掛けます。

 

劉備が白馬に乗っているのは調査済みなので、

白馬が現れた瞬間に矢の雨を降らせてしまおうというのです。

 

そして、劉備の白馬が通るや否や、伏せていた張任の兵は

雨あられと矢を放ちます。

 

張任:「やった、劉備を仕留めたぞ!!」

 

喜び勇んで、姿を現す張任ですが、ハリネズミになって、

落馬していたのは、劉備ではなく龐統でした。

 



何で龐統が劉備の白馬に乗っていたの?

 

実は、龐統の馬は、進軍の途中に足を挫いていて、

それを見た劉備が自身の白馬を龐統に貸していたのです。

 

つまり、龐統は、劉備の身代わりで戦死してしまいました。

亨年、36歳、ようやく鳳凰の片鱗を現し始めた矢先の死でした。

 

龐統が命を落としたのは、落鳳坡、皮肉にも鳳凰が落ちるという地名、なんとも皮肉な話です。

 

張任は、劉備を討ち取れなかった事で舌うちしますが、

軍師の龐統を討ったのをチャンスと攻勢に転じます。

 

龐統を失った劉備軍は大苦戦

 

龐統を失い、また慣れない土地での戦闘という事もあり、

劉備軍は、一転して大苦戦します。

 

張任は勇猛ですし、劉璋軍は後が無いので死にもの狂いです。

 

幸いに、黄忠(こうちゅう)と魏延(ぎえん)が、踏みとどまり、

張任に対抗したので、劉備軍は、総崩れを免れ、何とか涪水城まで逃げのびます。

 

一息ついた所で、劉備に龐統の死が知らされました。

 

劉備:「ああ、何と言う運命のイタズラ、龐統はワシの身代わりに、

死んでしまったというのか、、」

 

劉備は声を上げて泣き、龐統の死を悼みました。

 

しかし、劉備に悲しんでいるヒマはありませんでした。

 

孔明は龐統の死を予感していた

 

涪水城を包囲した、張任の軍勢を防ぎつつ、

劉備は、荊州の孔明に、龐統の死を伝えて、援軍を仰ぎます。

 

荊州にいた孔明は、北極星の下を巨星が流れたのを見て、

すでに龐統の死を予感していました。

 

劉備の使者・関平が孔明に龐統の死を告げる

 

そこに、劉備の使者、関平(かんぺい)が現れ、

龐統が劉備の身代わりで死んだ事を報告

改めて、親友の死を知らされ、孔明は涙したのです。

 

孔明:「士元、、これから、これからという時に君は天に帰ってしまうのか、、

私は、片腕をもがれたような気分だよ、、」

 

ですが、今後、ただ一人で劉備を支える事になった孔明には、

尚更に、悲しむ暇はありませんでした。

 

こうして、孔明は荊州には関羽(かんう)を残し、

張飛(ちょうひ)と趙雲(ちょううん)を連れて劉備の援軍に向かうのです。

 

龐統の死が孔明の負担を重くした

 

劉備の身代わりとして、龐統が死んだというのは演義の脚色ですが、

龐統が雒城の混戦で射殺されたのは事実です。

 

実質、用兵の才では孔明を上回っていた龐統が死んだ事は、

孔明の負担を重くしていく事になります。

 

もし龐統が死ななければ劉備はどうなっていたか?

 

龐統が死ななければ、益州は、劉備、龐統コンビで攻略され、

荊州には、関羽のみならず、孔明も残り、その後の、

孫権と関羽の軋轢も解消できたでしょう。

 

そうなると、劉備の夷陵での敗戦もなくなり、

三国志は、違った方向に動いたかも知れませんね。

 

 

次回記事:91話:張飛の大手柄 蜀将の厳顔を味方にする

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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