三顧の礼によって劉備に仕えることになった諸葛亮孔明は三兄弟でした。長男の諸葛謹(しょかつきん)字は子瑜、呉の孫家に仕えた武将です。
次男の諸葛亮(しょかつりょう)字は孔明、言わずもがな蜀の劉備のもとで軍師として大活躍し、『三国志演義』後半の主人公です。ですが三男の諸葛均(しょかつきん)については、字さえも伝わっていません。諸葛均の活躍については全力でスルーされているのです。
三顧の礼で劉備らの応対役
劉備らが諸葛孔明を自軍の軍師に迎えるべく草盧へ赴いた際、応対に登場したのが諸葛均(しょかつきん)です。
この時初対面の劉備に諸葛均は「孔明先生ですか」と間違えられます。
二度目、三度目の訪問に対して、兄の留守を告げる諸葛均に、張飛などは面と向かってイライラをぶつけます。諸葛均は困った顔ですみません……としょげるだけ。これでは孔明のクレーム対応係りですね。三度目に至っては、「兄は昼寝をしています」と伝える正直者。なんだか憎めません。話は脱線しますが、孔明の昼寝について補足します。
日本と中国の文化の違い「昼寝」について
孔明は当時晴耕雨読の生活を送っていましたが、昼間っから大の大人がゴロゴロと昼寝というとぐうたらなイメージが浮かんでしまいます。ですがこの辺りには少し日本と中国の文化の違いがあるような気がします。日本では小中学校のときから、昼食の時間は短く「急げ」と言われて育ちますし社会に出ても仕事が忙しく、なかなか昼食の時間が取れない方もたくさんいらっしゃることでしょう。
忙しい日本人、それじゃ中国人は?
ですが中国では、昼食後のゆったり時間がとても大切にされています。大学などのお昼休み時間はガッツリ二時間はありますし、昼過ぎにはオフィスや店のカウンター内などで昼寝をしている方がたくさんいます。
また、ツアー旅行などに参加すると、日本人には「昼時間が長すぎる! その分観光したいわ!」と思うほどしっかりとお昼休憩のタイムスケジュールが組まれています。
……もちろんその分、朝は早朝から働き、夜も遅くまで働いているということを忘れてはなりませんが。すみません、だいぶ脱線してしまいました。
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兄より弟への言葉
さて、孔明は劉備について行くことになりました。草盧を出るとき、弟の諸葛均にこんな話をして言い聞かせます。
「おまえはここで農耕を続けて、手柄を立てて戻ってくる僕を待っていなさい」
えっ。
僕の生活が落ち着いたら呼び寄せるから、ではないのですね。
諸葛謹と諸葛亮の二人の会話
のちに諸葛謹と諸葛亮の二人が膝を突き合わせて語り合うシーンがあります。
諸葛謹:「おまえ最近はどうなんだ?」
諸葛亮:「僕の方はぼちぼちだよ」
そんな兄弟の近況を伝えあう会話の中にも、弟均の話は出てきません。
実際の諸葛均はどうしてたの?
正史では、諸葛均は次男の孔明と共に劉備に仕え、長水校尉に出世しましたと書かれていますが、妻子に関する記述などはありません。校尉というのは将軍が治める「部」の長官で、高位の役職です。それでもほとんど記述がないところを見ると、この諸葛均、兄孔明から言われたとおり、田舎で農作業をしている方が性に合っていた純朴な人物だったのかもしれません。
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