自称皇帝、袁術のトホホな部下列伝 Part.6


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袁術の最後

 

三国志の群雄の中では秒速で後漢王朝を見限り、自ら皇帝に即位して、今度は、秒速で滅んでいった、風雲児、袁術(えんじゅつ)。そんな、ハチャメチャな袁術にも殆ど知名度はないながら部下達が存在しています。

 

袁術

 

はじさんでは、そのような無名な袁術の部下達にも、ささやかながら、光を当て列伝を残していこうと思います。

 

前回記事:自称皇帝、袁術のトホホな部下列伝 Part.5


袁術に嫉妬されたイイ人、舒邵(じょしょう)

剣を持って戦う徐庶

 

舒邵は、名前からして微妙です、劉備軍の最初の軍師である徐庶(じょしょ)に似ています、しかし、もちろん関係はありません。

 

舒邵(じょしょう)

 

舒邵は、義に厚い人で兄の親友の為に、人を殺しました。しかし、兄弟でお互いを自分が犯人だと言い張りその美しい兄弟愛から天下に名前が轟いたと言います。その頃楊州を支配していた袁術は、舒邵の名声を聞いて、阜陵(ふりょう)県長に任命しました。その後、舒邵は袁術の引き立てで沛国の相に任命されています。相というのは、皇帝や皇族の直轄地だかの県令のような地位なので袁術が皇帝になってから、その地位に移ったと思われます。


皇帝に就任してから袁術の下衆ぶりが….

 

ところが、皇帝に就任してからの袁術の贅沢三昧は度外れたもので人民は飢えて、次々と餓死していきました。

 

餓えた農民(水滸伝)

 

それを見るに忍びなかった舒邵は、袁術が戦争の兵糧米として備蓄していた、10万斗もの米を無断で人民に分け与えてしまいます。もちろん、袁術は激怒して舒邵を捕えて、どうして勝手な事をするのか?と厳しく尋問しました。

 

「死は覚悟しています、しかし、私一人が死んで人民が救われるならそれで構わない」

舒邵は、袁術を前に堂々と言い放ちました。


袁術は激怒、その理由とは?

 

当然、その解答に対して袁術は激怒します。でも、この袁術の怒るポイントは、なんだか人と違いズレています。

 

「なんで、お前一人で天下の名声を独り占めするんだよぉ!!(泣)」

 

袁術

 

え?何、自分の命令を無視した事に怒ってるんじゃないの袁術・・この文面から見ると、袁術は、俺だって、これ位思いついたのに~という舒邵への嫉妬心がにじみ出ています。


袁術は嫉妬深い

袁紹VS袁術(犬猿)

 

思い出しました、そういえば袁術は、従兄弟の袁紹の方が名声が高く、自分と交遊がない人士も袁紹とは付き合いがある事に激しい嫉妬心を燃やしていた時期があったのです。そう、袁術が怒った理由は、自分を差し置いて、舒邵が目だってしまったその事に対してだったのです。

 

美化された袁紹に羨む袁術

 

いえーい!屈折してるぜ、袁術(笑)まるで、ケン○ロウに嫉妬していたジ○ギ様だぜ袁術!!その後、舒邵は歴史書から姿を消します、結局、袁術に処分されたのかどうかさえも分かりません。ちなみに舒邵は後漢書「袁術伝」では舒仲応という名前で出ています。

 

次回記事:自称皇帝、袁術のトホホな部下列伝 Part.7

 

袁術のトホホな逸話
袁術祭り

 

 

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