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この記事の目次
魏軍のおかしな様子を察知する陸遜
呉将達は、さらに白帝城を攻撃して劉備を血祭りにあげろと意気巻きますが、陸遜は不穏な動きをしている魏を警戒し、深追いを止めて、本拠地に引き上げます。この陸遜の読みは的中していて、魏は江陵など、三方向から呉に進攻しますが、これは陸遜の活躍により阻止されました。
陸遜は、その後も魏の曹休(そうきゅう)の大軍を撃破するなど、度々の戦功を立てて、最期には、丞相にまで出世します。
丞相にまで出世したが孫権の後継者争いに巻き込まれる
軍事以外でも陸遜は民力の休養に焦点をあて、戦乱で荒れた土地を開墾させ、厳罰化する法律を緩和するなどの措置を取ります。しかし、晩年、孫権の後継者を巡る問題に陸遜は巻きこまれます。。
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陸遜の最期
後継者問題では、序列を重んじた陸遜は孫和を擁護しますが、孫覇を推す派閥は、陸遜の事を孫権に激しく讒言しました。
孫権はこれを鵜呑みにしてしまい陸遜を罵倒する手紙を送ります。忠臣だった陸遜は、この手紙を読んで屈辱から体調を崩し憤死しました。
三国志ライターkawausoの独り言
陸遜は、内政も軍事も出来るバイプレイヤーで、重圧にも強く、よく孫権を補佐して呉を支え、呉が魏に吸収される事を防ぎました。ですが、最期には、後継者問題に巻き込まれて忠義を尽くしてきた孫権に罵倒されて亡くなるとは哀れとしか言えませんね。今日も三国志の話題をご馳走様でした。
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