陸遜(りくそん)ってどんな人?100年に1人の呉の逸材

2015年7月21日


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100年に1人の呉の逸材(1P目)

 



監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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陸遜は異民族の山越討伐に出る

陸遜

 

陸遜は、孫権に願い出て、呉に従わない山越の頭目潘臨(はんりん)を志願兵を募って、討伐に行き、密林の奥地でこれを撃破します。この時に、陸遜は山越から2000の兵力を得て、凱旋します。孫権は、陸遜の鮮やかな手腕を誉め、孫策の娘を陸遜に与えて縁戚にしました。さらに、孫権は今後の呉について進むべき進路を陸遜に聞きます。

 

呉の武将

 

孫権は陸遜に今後の呉の未来を聞いてみた

陸遜 孫権

 

陸遜:「呉の安定には、山越民族の制圧と軍事力の強化が急務です。それには、山越民族を滅ぼすのではなく懐柔して味方にして、これを呉の兵力として活用する事です。そうすれば、異民族を鎮圧しつつ、軍事力を強化できましょう」

 

孫権は、もっともであるとヒザを叩いて陸遜をしかるべき地位につけます。

 

関連記事:呉が三国統一を出来なかったのも異民族の影響?

 

陸遜は若い頃から功績をコツコツと立てていた

陸遜

 

その頃、曹操(そうそう)の煽動により丹陽という土地で費桟(ひさん)という男が反乱を起します。費桟の軍は、大軍で陸遜は寡兵でしたが、陸遜は冷静で、夜襲を掛けて費桟の軍を撃ち破りました。陸遜は、さらに東方の治安の悪い3つの郡で募兵を行いつつ、呉に従わない人々を懐柔していき、結果、数万という兵力を吸収します。力に劣るものは、民戸に編入して農民にしました。

 

周瑜、孔明、劉備、曹操 それぞれの列伝・正史三国志(本)

 

三国志演義では、夷陵の戦いから、突然出てきたような扱いの陸遜ですが、実は若い頃から実績を積み重ねているのが分かります。

 

関連記事:陸遜(りくそん)は孫権配下の前は何をしていたの?

 

呂蒙も陸遜が跡を継ぐ人物だと確信する

呂蒙

 

西暦219年、荊州で関羽と対峙していた呂蒙(りょもう)は病を得て、建業に帰還しますが、その途中で陸遜は呂蒙に面会を願い出て、関羽を破り、荊州を手に入れる秘策を告げました。

陸遜 呂蒙

 

呂蒙は、話を聞くにつれて、陸遜が自分の跡を継いで、呉を引っ張るに足る人物だと確信しました。そして孫権に、自分が亡き後は、陸遜を引き立てるように進言します

 

陸遜は関羽を討ち取る

陸遜 関羽

 

陸遜は呂蒙の引き立てを受けて、共同で作戦を展開し、わざと、陸遜は関羽を誉めたたえる手紙を書いて、自分を臆病に見せて

陸遜 関羽

 

関羽を油断させ、その隙を突いて関羽を討ち取りました。

 

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