関羽(かんう)の外観上の特徴と言えば、真っ赤な顔と長いヒゲです。桃園の義兄弟をビジュアル化したイラストや映像を見ると、劉備(りゅうび)や張飛(ちょうひ)のイメージは描く人によって結構幅がありますが、関羽だけはほとんどブレがない。
真っ赤な顔に長いヒゲ、そして緑色の着物。どんなイラストを見ても、ほぼそのイメージは一致しています。あ、関羽を女性キャラ化した某コミックは?……というツッコミは無しの方向で(自爆
それにしても……。関羽の顔はどうして真っ赤っ赤、なんでしょうか?
オサルノカオモマッカッカ……。
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この記事の目次
もとネタは『三国志演義』
『三国志演義』に、関羽の容姿を描写した一文があります。
『身の丈九尺、髯の長さ二尺顔色は熟した棗の如く、唇は朱をぬったよう、声はわれ鐘の如く切れ長の目、太く濃い眉』
身長 217.8cm
ヒゲの長さ 48.4cm
熟したナツメのような顔色で唇は朱色
割れた鐘のように響く大声で、切れ長の目と太くて濃い眉毛
ここでの身長とヒゲの長さは三国時代の一尺=24.2cmを元に計算しています。『三国志演義』の元ネタとなる『三国志平話』は宋の時代に成立した読み物ですから、長さの単位も宋の時代に合わせるべきかな、とも思えるのですが、それだといささかおかしなことになってしまいます。
宋の時代の一尺は現代の単位にして31.2cmであったとされています。これを元に「九尺」あった身長を換算すると、280.2cm!!これは現代でもちょっと考えられない身長です。まさに、巨人!!
え、別におかしくないんじゃないかって?どうせフィクションなんだから、大げさに語られてもいいんじゃないか?……まあ、確かにそれも一理あるんですが。しかし、他の登場人物の描写を見ても、宋代の単位を基準に考えるのは不自然なんですよ。
曹操の身長だと分かりやすい
わかりやすいのが曹操(そうそう)です。演義では曹操のことは「身の丈七尺」と表記されてるんですが、宋代の尺で計算すると、身長218.4cmもあったことになってしまうんです。身長約2m20cmとは、現代でも相当の大柄、バスケットボールの選手並みです。でかいですよね?
曹操は一般的に「短身痩躯」(チビでヤセッポチ)というイメージで語られているのはみなさんご存知の通り。それを考えるとやっぱりおかしいんですよ。三国時代の尺で換算すれば曹操の身長は169.4cm。まあ、現代でもそこまで極端に小さいわけじゃないですが、戦場を駆ける武将の身長としては、十分小柄なイメージにおさまります。
ということで、『三国志演義』劇中における「尺」は三国時代基準であることに決定!!
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関羽の真っ赤な顔は何色?
閑話休題(と書いて、それはさておき、と読む)
……って、話がだいぶ逸れてしまいました。(自爆ここで重要なのは、身長の話ではなく、関羽の顔の色に関する描写でしたね。
……コホン。それでは話を戻しまして、関羽の顔の色についてのお話。
「熟した棗色」
棗(なつめ)……現代の日本ではあまり馴染みのない果物ですね。棗は英語で「Chinese Date」と呼ばれます。
Dateとは、デーツ=ナツメヤシのこと。
つまり、棗とは中国デーツ、ということですね。
赤い、というよりは赤黒い、といったところでしょうか?
ちなみに、『熟した棗』の表記は原文では『重棗』と書かれているのですが、
これには「熟した棗」という訳の他に『いぶした棗』という訳も存在しています。
いぶした=燻製にされた棗、ということでしょうか。
いずれにせよ『真っ赤』より『赤黒い』といった方がイメージに近いことは確かです。
ババアにボコられ、ツバつけられた関羽涙目
関羽の顔が赤く、長いヒゲを生やしていた理由を語る民間伝承に、こんな話があります。関羽は元の名前を常生(じょうせい)と言いました。あるとき、常生の親友の許嫁が誘拐されるという事件が発生。泣きべそかいて現れた親友が
「常生ぇも~ん、ボクの許嫁がとられちゃったよぉ!!」
……と訴えたかどうかはわかりませんが、
「よくも俺の親友を泣かせたな!! 許さん!!」
まあ、そんなわけでとにもかくにも、義理人情に厚い常生は親友の許嫁をさらった誘拐犯を見つけて殺してしまいます。無事、許嫁も戻ってめでたし、めでたし……となれば良かったのですが、常生は人殺しの罪で手配犯となってしまい、彼は致し方なく故郷を逃げ出しました。それにしても、なんて薄情な親友でしょうか?自分のために殺人犯した親友を弁護しないなんて、ありえません。
……ともあれ、追手に迫られた常生、思い余って、近くの川で洗濯していた婆さんにかくまってくれと頼みます。
ところが。
その婆さん、なにを思ったか、手にしていた洗濯棒を振り上げると、
突然常生に殴りかかったのです。
あっけに取られた常生が反撃に出る間もなく、
婆さんは洗濯棒で彼の顔面をフルボッコ!!
常生の顔は真っ赤に腫れあがってしまいます。
更に、婆さんはとんでもない怪力で常生の髪の毛をひきむしると、
べろべろとそれを舐め回してたっぷりツバつけて、常生の顔に貼り付けました。
貼り付けられた髪の毛は、まるで長いヒゲのように見えます。
突然の展開にがく然として途方にくれていた常生。
そこに、追手に追いつかれてしまいます。
ところが……。
「違う!! 常生のヤツはこんなに赤い顔はしてないし、ヒゲだってこんなに長くない!!」
ババアの暴行によってすっかり人相が変わってしまった常生の正体に、
追手は気がつくこともなくどこかへ去ってしまいました。
ふと、常生が気づくと、婆さんの姿はどこにもありません。
そして、自分の人相が赤く、長いヒゲが生えたまま、
元に戻らなくなっていることに彼は気づきました。
あれはきっと、神様だったんだ……。
常生は婆さんに感謝すると、名前を関羽と改め、新たな人生を歩んだということです。
でもなんで、赤くしなきゃいけなかったのさ?
神様なら、人相を自在に変えることもできそうなのに、どうして件の婆さんは関羽の顔を赤くしたのでしょうか?どうにもこれが良くわからない。関羽の「赤い顔」と言えばまず思い出すのが京劇。
京劇が関羽の顔色と関係している
京劇では、顔に塗る色にも役柄と密接に関係する意味があります。例えば、曹操は京劇においては青白く塗られますが、これは陰険な性格を意味しています。関羽の顔色である赤は英雄や偉大な存在を意味する色。じゃあ、京劇の影響で三国志演義でも赤いと表現されたのか、……と思いきや、さにあらず。
京劇は、『三国志演義』が成立してからずっと後の、清王朝の時代に確立された演芸です。むしろ、京劇における英雄のイメージ=赤 は、関羽の顔の色から取られたと考えるのが妥当でしょう。
……で、いろいろ調べた結果、どうやら陰陽五行説が元になったのではないかと推測してみました。
陰陽五行説は諸子百家のひとつ、陰陽家の中心思想で、世界が5つの元素、「木」「火」「金」「土」「水」でできており、その元素が循環し、関係しあうことで成立するとする考え方です。5つの元素には、その字が示す意味以外にも、さまざまな意味が付与されています。例えば色です。
「木」は青、「土」黄色、といった具合に、5つの元素にはそれぞれ色が割り当てられます。関羽の顔は「赤」……「赤」の意味を持つ元素は「火」です。
実は「火」につけられた色以外の意味の中に「羽(鳥)」があります。もしかすると、関羽の名前である「羽」が「火」につながり、そこから「赤」という顔の色につながったのでは、ないでしょうか?
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三国志ライター 石川克世の懺悔
ここに著したのは、すべて筆者の勝手な想像(妄想)です。関羽の顔色には、実はまったく違う意味があるかもしれないので鵜呑みは禁物です。
それと、「関羽」と「色」つながりで、どうにもわからなかったことがもう一点あったことを告白し、ここに懺悔します。
それは関羽の着物の色。なぜ、関羽の衣装は必ずと言っていいほど「緑色」なのでしょうか?
五行説による仮説も、この色に関する説明としては成立しづらく、それを説明する民間伝承も見つかりませんでした。赤と緑は色彩学的には補色関係にありますので、顔の赤と合わせて緑になったのかなぁ……とも思ったりするのですが。
これについては、いずれ有力な仮説が見つかりましたら、また記事にしてみたいと思います。
それでは、次回もお付き合いください。再見!!
(2018-01-14 追記)
関羽の衣装の色についてですが、その後、この件に関する確定的な情報を得ましたのでここでご報告させて頂きます。関羽の衣装が「緑」であるという元ネタはなんと、『三国志演義』にありました。
『三国志演義』第八十三回、九十四回に「綠袍金鎧」(緑色の着物に金色の鎧)という表現を見ることができます。また、水滸伝にも関羽の描写として「金甲綠袍」といった表現が見られます。よりにもよって、『三国志演義』にちゃんと描写されていたとは灯台下暗しにも程がありますね。なんたる不覚、ライターとして反省するばかりです。
読者の皆様にお詫びしますとともに、報告とさせて頂きます。
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