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秦の始皇帝陵は実は完成していなかった!壮大な地下宮殿と兵馬俑の謎

2015年10月25日


 

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曹操のお墓(曹操高陵)

 

 

1972年に偶然から発見された始皇帝陵、壮大なスケールを持つ、この始皇帝陵は実は未完成だったという事をご存じでしたか?知っているようで知らない、始皇帝陵について、ご紹介します。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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始皇帝陵は、始皇帝即位の時から建造が始まった

キングダム 政

 

始皇帝陵の建設は、1年や二年ではありません。それは始皇帝が即位した年紀元前247年にさかのぼります。当時、始皇帝は13歳という少年でしたが当時は珍しい事ではありません。

勤勉に働く古代エジプトの税務職員

 

中国でなくても、エジプトのファラオなども、即位と同時にピラミッドを建設していたりしています。それは、王の威厳を示す大工事なので、すぐに終わるようなものではなく、そこから逆算して、大体死没する時期を計算すると即位と同時に建設するというスケジュールになってしまうのです。

 

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始皇帝陵は秦の拡大と共に規模も大きくなった

政

始皇帝陵は、実に38年という歳月と70万人という人夫を動員しました。その為に、それまでの秦王陵よりも規模もお金も桁違いに掛っていますが、それは、始皇帝の時代に秦がその領土をドンドン拡大させた事に関係があります。

 

次第に拡張していく領土に相応しいように始皇帝は設計図を書きなおさせそれにより工期と人夫の動員数は増加していったのです。始皇帝の野望は、六国を征服するごとに膨らんでいき、それは、自らの陵墓の大きさに反映されていきました。

 

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始皇帝陵とは、始皇帝1人の為に造られた地下帝国だった

不老不死 始皇帝

 

始皇帝陵は、ただの個人墓ではありません。不老不死を求めながら、合理主義者でもあった始皇帝は自身の死後を考えざるを得ませんでした。どんな権勢を誇ろうとも人は死んでしまえばオシマイです。数々の宿敵を葬ってきた始皇帝にはその事は、充分過ぎる程に分かっていました。そこで、始皇帝は自分が眠る地下の世界に自身の為だけのミニチュアの秦帝国を造り上げようと画策しました。地上が自分達の子孫によって代々統治されようと始皇帝自身は、地下の世界で永遠に生きていた時と同じ生活を送る。

 

不老不死を目指す始皇帝

 

当時の世界では死後の世界が信じられていたので始皇帝は、死後の永遠を現世と変わる事なく生き続けようとしたのでしょう。実際に、始皇帝の陵墓は、周囲25キロメートル高さ100メートル、そして、深さは30メートルという広大な面積を持ちます。後の時代の長安のような城壁に囲まれた大都市でも、南北8・6キロ、東西9・7キロの大きさです。

 

始皇帝と星空

 

始皇帝陵の地下には、兵馬俑のような軍隊から各種の宮殿などの建物、そして、100本という水銀が流れる河、さらに当時の天文知識を駆使して天球儀までを描かせたようです。

 

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遂に完成しなかった始皇帝陵、その理由は?

始皇帝 死ぬ

 

天下統一後、次第に迫ってくる寿命の中で、始皇帝の自らの陵墓へ注ぐ情熱は並々ならないものになりました。ところが、不老不死を願った始皇帝は、巡幸の最中に急死します。始皇帝の死後も、始皇帝陵の建設は二世皇帝の胡亥により始皇帝陵は建設が続けられますが、紀元前209年、陳勝と呉広の反乱軍が、咸陽に迫ると、始皇帝陵の建設の中止が命じられます。

章邯(しょうかん)

 

今まで始皇帝陵の建設に従事していた人夫達は、秦の名将、章邯(しょうかん)により命を助ける事を条件に秦の正規軍になり反乱軍と戦う事になります。こうして、始皇帝陵は未完成の状態で地の底に埋められ2200年という長い眠りにつく事になったのです。

 

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三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

ついに完成しなかった始皇帝陵、でも未完成で、あの壮大さがあるという所に、中国を初めて統一した始皇帝の偉大さを感じます。もし完成していたら、始皇帝陵は、どのような姿をしていたのでしょうか?

 

いや、恐らく始皇帝陵は完成しなかったかも知れません。始皇帝の野望は果てしなく、それに伴い始皇帝陵の姿も変化しつづけたに違いないと思うからです。始皇帝がさらに10年長生きしても、その分だけ、設計に変更が加わりやっぱり始皇帝陵は未完成で終わったのではないでしょうか?そして、未完に終わったからこそ、始皇帝陵は始皇帝らしいと言えるそういう事なのかも知れません。

 

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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