戦術マニア必見!兵馬俑の戦車で2200年前の戦略がわかる!

兵馬俑

広大な始皇帝陵の一部である兵馬俑は2200年前の秦帝国の威容を

現在に伝える貴重な文化遺産です。

 

しかし、主に話題になるのは、高さ180センチ、重さ300キロの

兵士俑なので、ここでは同じく大量に出土した戦車について書きます。

 

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タンクじゃないよ、チャリオットだよ

photo credit: DSCF0737.JPG via photopin (license)

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戦車というと、現代人の私達は、どうしても鉄の装甲に覆われた大砲付き戦車を

連想しますが、もちろん、兵馬俑から出てきたのは現代の戦車ではありません。

それは、チャリオットという、馬に引かせる車輪付きの箱の事です。

 

兵馬俑からは、130輌という戦車が発掘されています。

 

 

秦の戦車は4頭の馬で引くタイプでしたが、残念ながら、車体は木造なので、

粘土の兵馬俑と違い、2200年の歳月で朽ち果ててしまいました。

従って完全な姿で発見された戦車は一輌もありません。

 

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リアル志向の始皇帝は、兵馬俑に本物の武器や馬具を装備

 

始皇帝はリアル志向の人物でした、ですから、兵士俑にも実際に武器を持たせ

戦車には、手綱や馬具、それに銅鑼や鐘というような金属製品を装備させて

埋葬しているのです。

 

それら金属は木よりも遥かに長い歳月を耐えますから、

そのような遺物から秦の時代の戦車の形が分かってきました。

 

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秦の時代の戦車のフォルムとは?

photo credit: Warrior via photopin (license)

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秦で使用されていた戦車は、1・35メートルの二つの車輪に

車軸、そして舵棒が装備されています。

本体は長方形で幅1・4メートル、前後の長さは1・2メートルで、

車体には40センチの囲いがついていました。

また秦の時代の戦車は、出入り口が後ろについていた事が分かっています。

そして、外装には漆を用いて、様々な模様が描かれていたようです。

それが将軍用や皇帝用の戦車となれば、装飾は、より目立ち派手なものに

なっていったでしょう。

 

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戦車には二種類が存在した

photo credit: DSC_2788 via photopin (license)

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秦の時代の戦車には、指揮車と一般車の二種類の戦車がありました。

指揮車とは、文字通り、将軍のような司令官が乗り前線に指示を出す役割を

持っています。

この指揮車には、銅鑼と鐘が吊り下げられていました。

 

【次のページに続きます】

 

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