皆さんは曹操(そうそう)を挙兵から支え続けた武将で、思い浮かべるのは誰ですか。夏候惇(かこうとん)や夏侯淵(かこうえん)、曹仁(そうじん)を思い浮かべると思います。
この三人は華々しい勲功を上げ有名ですが、実はもう一人曹操の挙兵時代から支えた忠臣がいます。今回紹介しますのは、ジャジャーン!!
曹洪(そうこう)さんです。
誰、この人、聞いたことないけど?そんな読者もいると思います。彼は地味で、あんまり目立っていませんが、曹操を支え続けた忠臣なのです。今回は曹洪の事を皆さんによく知ってもらいましょう。
この記事の目次
命がけで曹操を守る
曹操が董卓(とうたく)打倒のため挙兵すると、曹仁や夏侯惇、夏侯淵と共に曹洪も曹操に仕えます。曹操をはじめ、全員が若かったため意気揚々と滎陽に進軍します。しかし、董卓軍の武将・徐栄にボコボコにされ、大敗北してしまいます。皆ばらばらになって必死に退却します。曹操は、途中馬が倒れてしまい、走って逃げていました。そこに徐栄の兵士に囲まれ、絶対絶命のピンチに陥ります。
曹洪は自分の馬を曹操に与える
このピンチに駆けつけたのは曹洪でした。自分の馬を曹操に与えます。この時、曹操は馬をもらう事に辞退しますが、曹洪は「天下に俺が居なくても、どうということはないが、あんたが天下から消えてしまっては天下が困る」と激怒し、無理やり曹操を馬に乗せ、自らは歩いて退却します。曹洪がもし、曹操を助けず一人で逃げていたら、三国時代は成立しなかった事を考えると、曹洪の存在は非常に大きかったと思います。
武略と後方支援も行う万能家
董卓の配下であった呂布(りょふ)が、曹操の親友をあおって反乱を起こします。先鋒を任された曹洪は軍勢を率いて出陣します。曹洪はまず、呂布軍が占拠した2つの城を陥落させます。その後、転戦して、10以上の城を攻め落とす大功を立てます。またこの時期は大飢饉で兵糧が減少しておりました。そのため、曹洪は城を落とすと、曹操に兵糧を輸送して食料不足で戦えなくならないように努めておりました。
この輸送により、曹操軍は兵糧不足にならず、呂布の反乱を鎮圧することができたのです。その後も地味な仕事が多い曹洪ですが、しっかりと役目を果たし、着実に功績をあげていき、曹操軍になくてはならない存在になっていきます。
官渡の戦いの功績
袁紹(えんしょう)との最終決戦でも曹洪はしっかりと自分の役目を果たします。張遼(ちょうりょう)や夏侯惇のように前線で戦っていたわけではありませんが、戦争で一番大事な食糧輸送を曹操から任されます。袁紹と比較し、領地や兵、食料が少ない曹操軍にとって食糧輸送は地味仕事ですが、とっても大事な仕事です。曹洪はこの役目をしっかりと果たし、曹操軍に安定した食料を供給するのです。曹操は、袁紹軍の食糧倉庫が鳥巣(うそう)にあることを突き止めて、主な武将を率いて出陣します。曹洪は、官渡城防衛を任されます。袁紹軍数十万の猛攻から必死に防戦を行い、何とか持ちこたえることに成功します。その後鳥巣が陥落した事で、袁紹軍は撤退し、官渡の戦いは曹操軍の勝利で幕を閉じます。この時、曹洪が必死に官渡城を防戦しなければ、鳥巣攻略に成功したとしても曹操軍の勝利はなかったかもしれません。そう考えると地味ですが、やはり曹洪が果たした役割は大きかったと思います。
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