賈逵(かき)を皆さんご存知でしょうか。
彼は司馬昭(しばしょう)の参謀となって活躍した賈充(かじゅう)の父親です。
彼は地味な武将ですが、政治家として有能であったため、曹操に褒められた事があります。
また軍事面でも活躍した将軍です。
今回は有能な政治家であったがあまり目立たない縁の下の力持ち賈逵を紹介していきたいと思います。
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祖父から軍事として期待された幼少期
賈逵は名家の生まれですが、両親が早くに亡くなったため、
祖父に引き取られ、貧乏生活を余儀なくされます。
彼はそんな貧乏生活の中で、常に兵法書を読み、兵法の勉強に明け暮れておりました。
祖父は彼のそんな姿を見て「お前は大人になったら必ず将軍の位に就けるだろう」と彼を応援します。
しかし兵法好きの彼は将軍職に就くのではなく、役人になりました。
一人で反乱軍に抵抗し続ける
河北の戦い後、袁紹の三男である袁尚(えんしょう)配下の郭援(かくえん)が
河東郡で反乱を起こします。
郭援の反乱は凄まじく各地の県は次々と降伏していきます。
しかし賈逵は、郭援に降伏せず城を閉ざし、抵抗の意志を見せますが、
郭援と彼に協力した匈奴の猛攻により、城は落城してしまい、賈逵は牢屋にぶち込まれます。
郭援は住民の代表である長老達に賈逵を殺さないようにしてほしいと嘆願します。
郭援は長老の願いを聞き入れ、賈逵に家臣になるよう説得します。
賈逵は「逆賊に降伏する事はない。」と降伏を拒否。郭援は激怒し、
賈逵の処刑を決めますが、長老や家臣から猛反対され、賈逵の処刑を思いとどまりました。
賈逵は牢屋にいながら、近くの郡に密使を送り、要害の地・皮(ひ)を
占拠するようにアドバイスをおこないます。
賈逵は郭援の軍勢が近くの県に攻撃をかけないように、様々な工作を行い、
他県は防備を固める時間を稼ぐ事が出来ました。
その後郭援は、曹操軍の攻撃を受けて滅亡します。
彼は一人で必死に抵抗した事が、曹操の耳に入り県令の地位を与えられます。
彼は数年間県令の地位にいましたが、祖父が亡くなったため、役職を捨てて故郷に帰ります。
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曹操に褒められる賈逵
賈逵は祖父が亡くなったため官職を辞めましたが、曹操の招きを受け再び使える事になります。
賈逵は馬超征伐の時、弘農太守の代行を任された時、曹操と対面します。
この時彼は曹操に「あなたのような太守が全国に居れば、私は心配する事が無くなる」
と大いに褒められました。
彼はその後、劉備討伐戦に参加。
軍事面での才能を見せた事で、
諫議大夫(かんぎだいふ=天子が間違った政策をした際に注意する役職)に
昇進するとともに、夏侯尚と共に軍事面での作戦を担うことになります。
また曹操が亡くなった際には、彼の葬儀を行う最高責任者を担当し、見事に葬式をやってのけました。
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上司と険悪な仲であった賈逵
賈逵は曹丕の時代に豫州太守に任命されます。
豫州は呉との国境に近い重要拠点であるため軍備の充実を図るとともに、
200里(現在の距離で約20キロ)程の大運河を築き上げて大運河の名前を「賈侯渠」と名付け、
水運の利便性向上を図るとともに水害の発生を防止したそうです。
賈逵は呉との戦いにも参加し、呉軍を度々追い払っています。
賈逵は政府から政治の能力だけでなく、軍事面での才能を評価され将軍の位に任命されます。
彼は隣の県にいる上司・曹休(そうきゅう)と非常に仲が悪く、
彼と連携した作戦をあまり好みませんでした。
曹休もまた賈逵との連携を望まず、
いつも自らの配下と彼以外の人物と連携して呉軍と戦っていたそうです。
そんな時上司である曹休が呉の武将に騙されて「石亭」で包囲され、危機的状況に陥ります。
賈逵は上司である曹休を救うため援軍に赴き、呉軍に包囲されている曹休軍の救出に成功。
しかし曹休は賈逵に感謝の言葉を述べないばかりか、
自分が負けたのは賈逵の軍勢が遅れたからだと難癖をつけます。
賈逵は怒りのあまり黙って、彼の言葉を聞いていたそうです。
この時の心労が心身に負担をもたらしたのか、賈逵は病にかかり、亡くなってしまいます。
彼の地位の一部は息子の賈充に引き継がれて行く事になります。
三国志ライター黒田廉の独り言
賈逵は、魏国でしっかりと実績を残した将軍です。
三国志演義でも周魴の偽の投降を瞬時で見抜いた将軍であったそうです。
ですが、地味すぎてあまり目立つ事はありませんでした。
魏の縁の下の力持ち賈逵を今回はご紹介させていただきました。
今回のお話はこれでおしまいにゃ。
次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう。
それじゃまたにゃ~♪
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